新高知駅から宿毛へ〔1709〕2007/12/20
2007年12月20日(木)宿毛へいっちきちもんちきち
いよいよ師走も後半戦。押し迫ってきましたね。ひまわり太郎の生活も忘年会真っ盛り。昨夜は、高知市の酪農さんの皆さんと遅うまで飲りよりました。で、今、高知県最西端の宿毛市の宿毛駅で、このにっこりを書きよります。今朝の汽車でやってきました。県西部、幡多地域の酪農組合さんの忘年会に出るためですね。お昼からですき、もうちょっと。まだ昨夜のお酒が残っちゅうような気もしますが。はは。
写真は、今朝の高知駅。今、高架工事も佳境に入っちょりまして、だいぶ、新しい駅舎が姿を現してきました。なかなかりぐったドームができよりますな。
この地上のホームも、新駅舎が落成するまで。昔とめっそ変わらんたたずまいですきに、ちくと寂しい気もしますね。新駅のホーム予定地を見上げてみますと、はやくも駅名表示の看板が出来ちょりました。写真右端にちっとだけ写っちゅうががお判りいただけますでしょうか。
さて、今、宿毛駅に居る訳ですが、ここの観光案内所で宿毛のパンフレットを貰うてきて眺めよります。そうそう。宿毛と書いて「すくも」と読むがはご存じですよね、難読地名の一つですけんど、その昔宿毛高校野球部が甲子園へ出場したりしましたですきに。実はですね、あの時の野球部の監督は私ひまわり太郎の高校の同級生なのであります。えへん。
宿毛のパンフレットを見よって思うのは、この地の輩出した偉人の多さ。いやいや、ものすごいです。藩政期、日新館という学校があり、教育が盛んやったことが偉人の多さにつながっちゅうがは間違いないでしょうね。まずは竹内綱さん。自由党設立の立役者で、代議士として活躍しますが、彼の五男が吉田茂さん。ご存じでした?吉田家に養子に出ちゅうがです。ご長男はめっそ知られちゃあしませんけんど竹内明太郎さんで、小松製作所を創ったり、早稲田大学理工学部創設をほとんど一人でやってのけたり、というすごい人物です。早稲田と言えば、建学の父は大隈重信さんですが、建学の母は、宿毛出身の小野梓さん。あと、吉田茂さん以外の大臣経験者と言えば林有三さん、岩村通俊さん、林譲治さん、岩村通世さんなどなど、大臣経験者だけでもぞろぞろ出てくる宿毛。昔から人口は3万人くらいの小都市で、これはすごいようです。そうそう、岩崎弥太郎さんを助けて三菱発展の土台を築き、東北本線や小岩井農場をつくった小野義真さんも宿毛出身。小岩井の「小」は小野さんの「小」なのであります。ちなみに「岩」は三菱社長の岩崎弥之助さん、「井」は鉄道庁長官の井上勝さんながです。