1本からお届けします!お電話でのご注文・お問い合わせ

フリーダイヤル:0120-77-6245

今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

高見山、菅原高視朝臣の見た風景〔1708〕2007/12/19

高見山、菅原高視朝臣の見た風景

2007年12月19日(水)晴れ!

今日も良いお天気。すっきりと晴れ渡った冬の空に、金星がキラキラと輝きよりました。

ここは高見山の麓からちょっと山裾を登ったところにある、菅原高視朝臣邸址。こないだ、12月10日のにっこりでご紹介した場所で、そこからの眺めはこんな感じ。まだ薄暗い夜明け前ですが、ずっと遠くまで見晴らせます。菅原道真公太宰府左遷にあわせて、嫡子菅原高視朝臣が土佐の権守に左遷されて来たのは901年。土佐に居った5年間、ここに住んだと伝えられちょりますね。ここから朝日を眺めよったでしょうか。

当時の、この眼下の潮江界隈は、たぶん海やったでしょう。江戸時代に編纂された「南路志」には「昔三崎と云ふは大崎、津の崎、塩屋崎是也、此所吸江への渡場にて夢窓国師の往来有しも此所と云へり、東北共に皆海にして潮江山を廻りに家居せしとぞ」とあります。大崎は今の大津、津の崎は愛宕山、そして塩屋崎はここからちくと北へ行った筆山の北東麓。この山裾に家が点在し、その前は海やったことが判ります。

潮江には、11世紀に賀茂社系の荘園ができますが、1100年正月の南海地震で海に沈み、再び立荘されるまで200年近くの年月がかかっちょります。今も、山裾の道路沿いのガソリンスタンドに「海抜1m」という看板が出ちょりますので、かなり低い土地ですね。

この写真の、中央ちょっと右手の彼方に富士山みたいな形の山が見えます。介良富士ですね。ということは、その左手の、ビルの向こうが大津の山。菅原高視さんの時代、あの大津の山まで海やったでしょうから、道真公の遺品を太宰府から持って来られた松本白太夫さんがここへたどり着く直前、大津の霊松山雲門寺で亡くなったという伝説を考えてみるに、この高視さんの家とあまりにも近いことが良うわかります。あそこからここまで、船でやってくるとしたら、ほんの数時間やないでしょうか。白太夫さん、山越えでやって来て、大津で船待ちでもしよったがでしょうか。海から船で浦戸湾へ入ってきたとしたら、大津までわざわざ行かいでも、直接ここまで来た方が合理的。謎はなかなか深まっていって楽しいですね。


←前日の日記2007年12月の日記翌日の日記→

HOME今日のにっこりひまわり

日記検索

年月別過去ログ

年のクリックで月を表示・非表示します。月をクリックすると記事一覧を表示します。

2024年

2023年

2022年

2021年

2020年

2019年

2018年

2017年

2016年

2015年

2014年

2013年

2012年

2011年

2010年

2009年

2008年

2007年

2006年

2005年

2004年

2003年

サイトマップ

facebook  instagram  twitter