旧秋田川のお地蔵さん〔1695〕2007/12/06
2007年12月6日(木)今日も晴れ!
今朝、会社に着いて車に乗ろうとしましたら、フロントガラスがちっくとだけカチバリツイちょりました。冷やかったがですね。
さて、ひまわり太郎、最近高知空港界隈の地理、水路にかなり詳しゅうなっちょります。この辺りはお宮さんや記念碑のたぐいが結構多く、歴史が古いことを感じさせてくれるのであります。そう言えば、空港の北側は中世の頃の土佐の中心地で、守護代の細川氏が執務しよった場所やったですもんね。弥生時代には、土佐有数の集落として栄えた訳ですきに、そりゃあ由緒ありまくりです。
ここは、空港の南東のトリム公園の所から新道を西へ数百メートル行った場所。新道の南には後川という幅10mくらいの川が流れ、物部川河口に流れ込んじょります。その後川へ、この小さな小さな川が流れ込んじゅうのがここ。その川縁に、ご覧のように大きなお地蔵さんがたたずんじょります。今まで気付かんかったですが、柔和なお顔をした大きなお地蔵さんで、横に「旧秋田川之碑」という立派な記念碑が建っちょりました。
昭和16年、田んぼが多かったこの土地に、海軍の飛行場が建設されました。何度かご紹介しましたですね。で、その滑走路を建設するために、とっと北の方から流れてきてここで「後川」に合流しよった「秋田川」を、400m西へ移動させました。今の地図で想像してみるに、旧秋田川は現在の空港ビルの下から滑走路のど真ん中の下を流れよったみたいです。
現在の秋田川は、空港の滑走路の北西部真下を通り抜けちゅうがですが、海軍の飛行場やった頃は滑走路はそこまで無かったがでしょうね。新秋田川の界隈に、以前にも何度かご紹介した、戦闘機を空襲から守る格納庫「掩体壕(えんたいごう)」がどっしこ残っちょります。
このお地蔵さんは、昭和16年までは、この1500m上流の岸辺に座しちょったとのこと。海岸の仮座所へ移動されちょって、旧秋田川沿いのこの場所に復されたがやそうです。地域の安全を守ってくれゆう姿は神々しゅうございますね。