長浜、若宮八幡宮にお参りしてきました〔1683〕2007/11/24
2007年11月24日(土)良いお天気。
今日も良いお天気の四国地方です。今、お仕事で香川の高松へ向かう電車の中で、このにっこりを書きよります。ここでディープなにっこり読者の方はお気付きと思いますが、普通、高知から高松へ行くのは「汽車」。ですが、今朝は、「汽車」の特急南風で高知から丸亀まで来まして、そこで高松行きの快速「電車」に乗り換えて、その中で書きゆうもんですきに「電車」ながです。
さて、写真は、今朝の若宮八幡宮。高知市南部、長浜に鎮座しちょります、長宗我部元親さんゆかりの立派な神社「若宮八幡宮」。
横浜から、Jr.2号の自転車と一緒に走ってきました。源家ゆかりの八幡様で、1185年に石清水八幡宮から勧請してきたという古い格式の高いお宮さん。もちろん八幡様ですきに、応神天皇、神功皇后をお祀りしちゅうがは言うまでもありません。
が、この八幡様が有名なのは、何と言うたち、元親公に関係が深いきであります。こないだのにっこりで、1560年に長宗我部軍が本山軍を破った戸の本古戦場をご紹介しました。元親さん初陣の戦い。長浜城攻略から戸の本合戦に至る長浜の戦いが初陣の戦やった訳ですが、その戦の直前に戦勝祈願をしたのが、ここ、長浜の若宮八幡宮。
その戦を機会に元親さん、四国制覇へ突き進んで行った、というお話をしましたが、その最初の戦に戦勝祈願をした若宮八幡宮を篤く尊崇し、社を立派に建て替えました。建て替えた様式は、屋根や建物の配置が、ここから出て行く蜻蛉(とんぼ)のように見える「出蜻蛉式建築」。戦勝祈願の第一社としたがですな。これと対をなすのが、以前ご紹介したことのある「土佐神社」の「入蜻蛉」。土佐神社も元親さんが立派に建て替えちょりますが、そちらは「凱旋報賽社」、つまり戦勝の凱旋を感謝するお宮さん。
長浜の若宮八幡宮には、元親公初陣の像が平成11年に建立されちょります。それはそれは立派な若武者像。ここ長浜は、元親さんにとってこぢゃんと思い出深い、また、重要な土地やったという訳です。で、元親公の墓所も、この長浜にあるのであります。