浦戸湾上空の金星〔1680〕2007/11/21
2007年11月21日(水)今日も快晴!
昨夜は、南国工場からちくと変わったルートを走って帰りました。工場から空港の南へ出て、海岸沿いの道の南の前之浜や浜改田の町を抜ける旧道の、更に南の海に近い小さな道をひたすら西進。で、三里の手前で広い道路に合流し、高知新港の脇を抜けて三里の町へ。ホントは、ここから種崎へ抜けて御畳瀬へ渡る無料の県営渡船に乗り、御畳瀬、長浜を通って横浜へ、という予定やったがですが、計算が狂うて、種崎発20:10の最終便に間に合いそうにもなくなり、仕方ないので家から浦戸大橋の東側まで車で迎えにきてもろうてしまいました。大冒険やったですね。
さて、ここは夜明け前の横浜。高知の横浜。向こうに仁井田の造船所のクレーンが見えよります。その左手が玉島、右手に衣ヶ島の先っぽが見えよります。そして、上空にはキレイな金星が。明けの明星金星が、引き締まった秋の空に輝きよりました。
明けの明星も宵の明星も、どちらも金星ということは今では常識ですけんど、紀元前4世紀にギリシャの文献にでてくるまでは、別々の星と認識されちょったようですね。で、金星探査と言えば旧ソ連のベネラ。惑星探査はボイジャーとかの活躍でアメリカが強い印象がありますが、金星に関しては圧倒的に旧ソ連ながです。1967年にベネラ4号を金星に突入させて以来、ベネラ7号で地表の観測に成功、ベネラ8号を軟着陸に成功させて、金星が、93気圧470℃というとんでもない灼熱地獄であり、大気の97%が二酸化炭素ということを証明したのであります。戦前までは、金星大気は地球と良う似いちょって、熱帯雨林が広がっちゅうなどという想像もされよったという金星ですが、実際はとんでもなかったというお話。
ベネラは、その後、1982年の13号と14号で、その過酷な地表での観測をしつつ、ナント地表の写真撮影にも成功しちょります。その後、アメリカもパイオニア・ビーナス1号で金星上空からの詳細な観測をしちょりますが、何と言うたち、あの灼熱地獄の地表で観測を成功させたのは、唯一ベネラだっけなのであります。