松山お堀端、八股お袖大明神〔1681〕2007/11/22
2007年11月22日(木)松山も晴れぞなもし
今朝は松山。昨日から車で来ちょります。で、今朝は、松山城へは登らずに、お城の周囲をたつくりまわってみました。色々と興味深い名所旧跡がありますね。その中でも、特別に異彩をはなちゆうのがここ。お城の下、一番町を西へ、県庁前を通り過ぎて、お堀に沿って左折、ちょっと行ってお堀が右折する地点にございます。前は電車が通る大きな道路で、道路の反対側には松山市役所が。そんな繁華なところに、ご覧の赤い幟旗がたっちょります。ここから堀端へ小さな石段を降りると、狭いエリアにお宮さんが並んじょります。ここは、この幟にも書いちょりますとおり、「八股お袖大明神」さん。
ちょっと不思議な大明神さんです。何でこんなところに、てな場所ですね。
で、好奇心旺盛なひまわり太郎は調べてみました。
むかしむかし、伊予は狸どころで、有名な狸をたくさん輩出しちゅうそうです。知っちょりました?でですね、藩政期後期の頃、松山のお城の建つ勝山に、「お袖狸」という利口者の狸さんが住みよったそうです。山暮らしも飽きたお袖さん、お姫さんに化けて山を下り、「八股」と呼ばれるところまでやってきて、そこの榎の木々の間に住み着いたとか。で、そこで通るヒトを眺めて暮らしよったところ、ある日、通りかかったおばあさんが突然お腹が痛くなって苦しみ始めたのであります。透視のできるお袖さん、おばあさんのお腹の中に、まだこなれてないお餅がどっしこあるのを見つけました。そこで見えないようにおばあさんのお腹をモンであげてお餅を消化させ、助けちゃったがですと。喜んだおばあさん、その榎に、不思議な霊力があるに違いない、ということでお線香を立てて拝むようになりました。嬉しゅうなったお袖狸さん、次から次へと人助けをし、いつの間にか、「八股のお袖」さんの神通力が広まっていくことになったそうです。そのうちに大明神に出世しちょったそうですね。昭和に入り、道路拡張で一旦は立ち退きになったお袖さん、昭和22年に、またここへモンてきて、人々の願いを叶えてくれゆうそうです。