桂浜の「おきゃく」、鏡川の「葦」〔1647〕2007/10/19
2007年10月19日(金)雨がそぼ降る高知市内
今朝は雨。6時半くらいに降り始め、最初は小雨やったがですけんど、だいぶしっかりと降ってきました。今晩には晴れそうな予報です。
昨夜、桂浜で大きな「おきゃく」がありました。「おきゃく」とは「宴会」のこと。昔は家でやる「おきゃく」が多かったですけんど、最近はキチンとしたお店でやる「おきゃく」ばっかしにになってきたですね。
それから、昔は外でやる「おきゃく」も多かったです。花見に月見。月見の名所は何と言うたち桂浜。しかし、観光地として確立された桂浜で火を炊いて「おきゃく」をする機会はめったに無いまりました。そのめったに無い機会が昨夜。
200名以上の座れる特設桟敷席をしつらえ、篝火を燃やして、やりました。経済同友会の西日本大会前夜祭という催しですね。ひまわり太郎は設営運営のお手伝いでしたきに、桟敷にゆったりと座り込んで、という訳にはいかんかったですが、まあ、県外からのお客様を中心に皆さん喜んじょったですね。桂浜に寄せては返す波の音を聴きながら、ちょうどぼっちりの気温の風を楽しみ、土佐の皿鉢料理を堪能する、という、まあ、地元の人でもなかなか無い設営でございました。雨も降らいで良かったです、ホント。
一夜明けると雨。いやいや、良かったです。
ここは天神大橋と潮江橋の間の北岸。小雨の中、たくさんの方々が散歩されよりました。この川岸には葦原が。以前にも一度お話しましたですけんど、白川静香大先生によりますれば、このように穂の出たやつが「葦」で、穂が出てないやつが「蘆」やそうです。ですきに、ご覧のやつは「葦」。
パスカルの「人間は考える葦である」という名言、日本語に訳された場合は、おおかたの場合「葦」を使うちょりますきに、穂が出ちゅうものです。
て、フランス語にそんな区別はないでしょうな。日本語の奥の深さ、ものすごさです。