中村、不破八幡宮、嫁かたぎと神様の結婚式〔1626〕2007/09/28
2007年9月28日(金)中村に来ちょうがです
今朝は中村。現四万十市、旧中村市です。ひまわり乳業中村工場があることでも有名?な、四万十川河口に古くから拓けた町、中村。中世の頃には公家の一条家の荘園があり、瀬戸内海の政治情勢の関係で土佐湾を経由しての貿易が盛んになった際には、その交易の拠点として栄えたらしいですね。
で、1467年に京で応仁の乱が勃発すると、その戦乱を避けて前関白、一条教房さんがはるばるはるばるここ中村までやって来て、町をつくりました。京に似た街づくりをしたので、土佐の小京都と言われます。この辺の話は、このにっこりでは耳タコですね。
でですね、一条教房さん、京にあった石清水八幡宮をこの地へ勧請してきて、幡多の総鎮守、一条家の守り神としたのであります。それが不破(ふば)八幡宮。
中村の市街地は、四万十川と後川に挟まれた三角州にあります。その、南側、三角の頂点に近い不破(ふば)という地区の山の上に、その八幡様は鎮座されちょります。周囲の樹々は立派で、こぢゃんと由緒を感じさせてくれる八幡様。以前ご紹介した土佐久礼の八幡様は、母なる海に向かって参道が延びちょりましたが、ここ不破の八幡様は母なる四万十川に向こうちょります。朝靄の四万十川が美しゅうございました。今朝は四万十川からこの三角州の界隈をたつくりまわって来ちょります。
本殿に向かって左手にある境内社は「三島神社」と「住吉神社」。両方海に関係ありますな。
不破八幡宮のお祭りは、体育の日の前日に行われるそうですきに、もうまあです。このお祭りでは「神様の結婚式」という変わった神事が挙行されるがが有名。一条さん、ここへ下向してきて、土佐では広く一般におこなわれよった略奪婚の風習、いわゆる「嫁かたぎ」があんまし盛んなので、それを矯正させるために、この神事を始めたそうです。
けんどあれですね、土佐の田舎では、戦争の前まで、嫁かたぎの風習は残っちょりました。若い衆宿があり、夜這いや嫁かたぎは、その村々には欠かせれん催しやった訳ですな。「神様の結婚式」で、その習俗が改まったかといえば、そらあなかなか難しかったろうやないですか。