堀川雑感〔1621〕2007/09/23
2007年9月23日(日)今日もよう晴れちょります
今日が運動会という学校も多いがやないでしょうか。運動会と言えば、爽やかな秋空、真っ青な秋空の下、というイメージですが、今日はそんな感じぢゃありません。ギラギラのお日様が照りつける、これこそ真夏、てな感じの陽気でございました。運動会やった皆さん、暑さは大丈夫でしたか?
さて、昨日、浦戸湾に浮かぶ弘化台から鏡川と堀川の河口方面をご紹介しました。あの写真の右手、堀川河口の赤い水門をくぐると、ご覧のようになっちゅうがです。鏡川大橋が堀川もイッショクタに渡っちゅうので、その堀川の真上から撮影してみたがです。
これが堀川河口部。向こうの背の高い大きな建物はホテル日航高知旭ロイヤル様。あのホテルの向こう側で、堀川は行き止まり。電車通りをくぐって新堀川につながっちゅうことは、昨日お話したですな。
昭和40年頃、ここも新堀川を経由して江の口川とつながっちょりました。旭にあった製紙会社が垂れ流す強烈な廃液で、西日本一汚いと言われよった江の口川。で、堀川も、その影響でどぶ川みたいになっちょったがです。が、工場が閉鎖され、環境に対しての関心が高まってきた現在、川は蘇り、美しいたたずまいで市民をい憩わせてくれよります。
堀川、新堀川は、お城下に物資を運んだりするために、土佐藩や市民が開鑿した川。かるぽーとのクに中央卸売市場があった昭和40年代まで、実際に物資の輸送にこぢゃんと利用されよった堀川。よく投稿くださるタベシマさんは大津の農家の子で、小さい頃、おじいさんと一緒に家の前の国分川から舟に乗ってここの市場へ来よったそうです。農産物を運び、帰りはどっしこ肥をもろうて積んじょったそうですね。
こんな景色、暗渠にされようとしゆう新堀川とか、埋め立てられてしもうたはりまや橋の下から新京橋の界隈までつながっちょったら楽しいと思うがです。