浦戸の海岸、台風、一領具足〔1550〕2007/07/14
2007年7月14日(土)台風接近!
台風4号がやって来よります。なかなか強烈な勢力の台風で、まだ九州のトット向こうに居るというのに高知県内は早くも大荒れ。雨も風もかなり強うなってきました。この台風、今日の夜から明日の朝にかけて高知市界隈を通過していく予報になっちょります。
ここは太平洋。地元のヒトは花街道と呼ぶ、桂浜の西の海岸線沿いの道路です。台風が来ると、ここに打ち寄せる波がすごいので、見物客も訪れる海岸。今朝の時点では、かなり大きい波とうねりにはなっちょりましたが、まだまだこれから、ものすごいことになりそうです。波の高さは10mを越える予想。気を付けたいところですね。
この海岸の向こうに、小高い山になった岬が見えます。あの向こうが桂浜。あの山のてっぺんが浦戸城址。ご存知、長宗我部元親さんが、その後半生に居城としたお城。元々岡豊城を本拠として四国を制覇しましたが、秀吉さんに敗れて土佐一国の領主となった後、現在の高知城のある大高坂山に本拠を移しました。その後、治水やらで苦労して、交通の要衝、浦戸へと移ってきたのでありました。
元親さん亡き後は末男の盛親さんが継ぎ、そして関ヶ原の敗戦を迎えます。徳川家康の命を受けた井伊直政の家臣鈴木平兵衛さん、松井武太夫さんたちが長宗我部の領土没収のためにこの海岸へやって来たのが1600年10月19日やったそうです。
長宗我部方は徹底抗戦の一領具足派と降伏已む無しの家老派に分かれて揉めに揉め、竹内惣右衛門さんを首領とする一領具足たちは浦戸城に立て籠もって抵抗したのでありました。世に言う「浦戸一揆」。最終的には一領具足数百名がここで討ち死にし、山内氏が入国してくることになりました。
この海岸に、その一領具足たちの魂を祀る六体のお地蔵さんが立っちょります。「六地蔵」として、今でも地元の皆さんに尊崇されよります。