一圓正興さんと高知市〔1549〕2007/07/13
2007年7月13日(金)けっこうガイな雨
今日は雨。沖縄の南を進みゆうなかなかガイな台風4号の影響で、朝からしっかりと雨が降り続く高知市内です。明日には高知にもこぢゃんと接近しそうですきに、気を付けんといけません。
さて、ここは高知市役所前。昨日、板垣退助さんの記念碑をご紹介したので、今日は同じく自由民権運動で活躍し、高知市の初代、2代目、3代目、そして5代目の都合17年近くもの間高知市長をつとめられた一圓正興さんの記念碑をご紹介しましょう。市役所前の広場に建っちょりますが、向こうに見える大きな建物は高知県庁。
一圓正興さん、1848年の生まれですきに、板垣退助さんより11歳年下。で、立志社の設立に参加し、民権運動の結社「修立社」の社長にもなりました。2004年2月27日のにっこりに、その辺のことを書いちょります。明治20年の三大事件建白書提出にも名を連ね、そして明治22年4月に高知市ができた際に、初代市長となったのでありました。現在の高知商業高校を創立したり、高知商業会議所の設立に関わったりもした、実業の世界にも大きな影響力を及ぼした偉大な人物やった訳です。
現在は、旧鏡村や旧土佐山村も合併し、来年には春野町も合併するので、かなり大きな市域をもった市になります。最初、市制が施行された明治22年の時点では、東は宝永町、西は上町5丁目、北は江ノ口川、南は鏡川という、藩政期でいうところのお城下、郭中、上町、下町のみが市域やったそうです。
そんなこんなを調べる為にネットを見よりましたら、Wikipediaの「高知市」という項目で、「本社を置く企業」という欄にひまわり乳業の名前が有るのを発見しました。ちくとビックリしました。