板垣退助さん、戊辰戦争、コーヤジ〔1548〕2007/07/12
2007年7月12日(木)高知は曇っちょります
昨日の朝は下関でした。下関の皆さんに、山口の歴史上の人物で一番人気は誰ですか?と尋ねますと、予想通り高杉晋作さんでした。で、その次が吉田松陰さん。なるほどですね。木戸孝允さんとかになるとずっと人気ランクが落ちるようです。
で、お話しよりましたら、未だに長州人は会津人としっくりいっていない、てな話題になりました。長州方はそうでもないのですが、会津人が敵愾心を見せてくるがやそうです。明治維新の際の戊辰戦争、白虎隊の怨念が、まだまだ渦巻くニッポン列島なのでありました。戊辰戦争と言えば、土佐からも軍勢が参加して戦うちょります。
その土佐の司令官として活躍し、明治新政府の要職に就くことになったのがご存知板垣退助さん。ひまわり本社のしゅっと近くに、その生誕地があります。現在は高野寺さんというお寺になっちょります。お寺の前には大正期に建立された、ご覧の立派な碑も立っちょります。
板垣退助さんは、何度もお話しましたが、もともと乾退助と言いよりました。山内家家臣、乾家です。この乾家のご先祖が、戦国武将武田信玄の重臣板垣信方(いたがきのぶかた)さんであります。NHK大河ドラマ風林火山で、千葉真一さんが熱演しゆう、あの人物ですね。甲斐の国では、未だに人気のある武将らしいです。で、乾退助さん、戊辰戦争で官軍の司令官として甲斐の国へ攻め入った際、実は自分はあの板垣信方の子孫である、と言うて姓を板垣に戻し、地元民の支持を得ながら戦うたのでありました。
この生誕地、現高野寺の西側、南大橋通りに面して、ひまわり太郎が子供の頃、駄菓子屋さんがありました。ちゃんとしたお店の名前はあったはずですが、たぶん誰も知らんかったと思います。それは、そのお店を、皆、コーヤジと呼びよったきですね。遊びよって、「コーヤジへ行こう!」と言えば、その駄菓子屋さんへ行くことを意味しちょりました。いつ頃まであの駄菓子屋「コーヤジ(仮称)」は在ったがでしょうか。