木曜市の賑わい、その変遷〔1499〕2007/05/24
2007年5月24日(木)晴れ!
今日も暑い一日になっちゅう高知市内。今日は木曜日で、ここは木曜市。高知市では、追手筋で開かれる日曜市が有名ですが、月曜をのぞくすべての曜日にどっかで市が立ちよります。中でも、日曜市の次に規模が大きゅうて賑わいゆうのが県庁前の木曜市と愛宕の線路沿いの金曜市。木曜市は県庁前、電車通りの信号から南へ、鷹匠公園のところまでの道路沿いに毎週木曜日開かれます。
こないだお話しましたように、曜日を決めて市が立ち始めたがは太陽暦が採用された明治9年から。
昭和になって、中島町で木曜市が開かれるようになったそうです。戦後、木曜市が復活したのは升形。今の商店街の通りのひっとつ東の通り、戦争でも焼け残った古い洋館の歯医者さんの建物の前の通りで開催されゆう写真が残っちょります。昭和38年、桜馬場に移転し、昭和45年に升形に戻った後、昭和46年から現在の場所で開かれるようになりました。
日曜市にも出店されちゅうお店も多く、季節の野菜や果物はもちろんのこと、生産者手づくりのお餅やら饅頭やら、ちょっとした軽食屋さんやら、なかなか賑やかで退屈せんですね。
藩政期、この場所は土佐藩の上級武士が住むエリア。幕末の時分には、この右手には中老格の寺村家、生駒家のお屋敷が立ち、この突き当たりには山内容堂さんの大きな家がございました。維新後、庶民にも解放されたエリアで、明治19年から昭和初期まで、毎週土曜日に市が立ちよったそうです。
陽射しがキツうなってきましたので、この大きな街路樹の木陰が心地良いですな。