東九反田公園の公衆トイレに時計が〔1489〕2007/05/14
2007年5月14日(月)今日も良いお天気です
心地の良い月曜日。
今朝もトウから、鏡川界隈をたつくりに出ちょりました。大きな鷺がギエーっと恐竜みないた鳴き声をあげながら水面すれすれに飛んで行く様が優雅でした。
ここはいつもの東九反田公園。迂闊にも、最近気付きました。ここに近年完成した立派な公衆トイレ、ここに箱に入れられた立派な時計が架かっちゅうがですね。こんなん有ったでしょうか。この東九反田公園は、このにっこりでビッシリご紹介しちょりますきに、ちくと調べてみました。
2004年5月19日、8月7日、11月12日、2005年9月21日、12月18日、と見てみましても、この時計らしきものはありませんね。その後、このトイレが写るアングルで写真を撮っちゃあせんがが悔しいですな。とにかく最近でしょうか。
トイレの向こうには大きなマンションが写っちょります。2004年11月12日のにっこりに建設中の場面が写っちょりますが、2004年7月22日を見てみると、まだ一階部分くらいが立ち上がった所の建設現場も写っちょります。なかなか歴史ですね。
この公園の場所に、幕末の1866年(慶応二年)、山内容堂候の後ろ盾で後藤象二郎さんが「開成館」を建てました。ここがお城下の表玄関やったきですね。明治26年の河田小龍さんが書いた市街地図を見てみましても、ここがお街の行き止まり。この東は船が停泊できる港になっちょりまして、県外からやって来た大型船は湾内で小舟に乗り換え、ここへ着きよったことがわかります。
土佐藩の、殖産興業、富国強兵の拠点がここにあった開成館。その出先機関で活躍し、その資産の払い下げを受けて礎を築いたのが三菱の岩崎弥太郎さんやったりするので、この場所は実はかなり重要な役割を果たしちょります。
トイレの時計は、朝の5:25。住宅街として静かになった、これからの東九反田公園の時を刻んでいきます。