タクシーから見たはりまや橋〔1470〕2007/04/25
2007年4月25日(水)小雨模様のち晴れ
今日は朝一番の汽車に乗って大阪へ来ちょります。高知大阪の飛行機、あのボンバルちゃん事故からこっち、乗っちょりません。利用客が減ったきかどうか知らんですけんど、朝の一便目があの胴体着陸から遅い時間になってしもうたので、大阪市内で用事がある場合は、高知駅6時発の特急南風に乗って行った方が早うに着くので、汽車の方がノウがエイがです。
この写真は、今朝、家の近くから高知駅まで乗ったタクシーの中。まさに、はりまや橋交差点へ差し掛かるところでございます。タクシーに乗ったがは久し振りのような気がします。
このはりまや橋の光景、高知の人はわかるでしょうが、妙にすっきりしちょります。左手には四国銀行本店が見えよりますが、本来はその手前に高知西武の白い大きな建物がありました。今は取り壊されちょります。大阪の開発業者さんが、ここに商業施設をこさえるというお話ですが、この更地状態が長いですな。
右手には、お菓子の浜幸さんの本店ビルが見えよります。その向こうは「国際ホテル高知」さんのビルやったですが、今は取り壊されちょります。こちらの方は、もう、新しいビルの基礎部分の工事が始まっちょりますね。ビジネスホテルになるそうです。
交差点の北西と南東の大きなビルが無いなっちゅう訳で、ヒロビロと感じてしまうがですな。昔、高知西武がとでん会館やった頃、この交差点を右折したところに架かるはりまや橋の下には堀川が流れ、その北側の中種商店街や魚の棚はこぢゃんと賑やかで、ヒトが沸き返っちょった記憶があります。いまは妙にこぎれいにはなっちょりますが、ヒトの数はグンと少なく、かつての賑わいは面影もなくて遠い昔のお話。
が、しかし、賑わいというものは時代と共に移動していくもんです。今は市内北部の大型施設が大賑わいですし、その前は、大丸を中心とした帯屋町。その昔が、この種崎町界隈やった訳で、また、どのように賑わう場所が変遷していくかは誰っちゃあワカランこと。はりまや橋はどんなになっていくがでしょうかね。