九反田の二段道路〔1469〕2007/04/24
2007年4月24日(火)曇っちょりますね
ここは九反田(くたんだ)。昔、立志社の学校があったりして「憲政之祖国」の大きな碑が立つ「東九反田公園」の南側を、九反田橋方面に向う道。高知の不思議な風景や懐かしい風景、残したい風景などを紹介してベストセラーになっちゅう「高知遺産」という本に、二段になっちゅう不思議な道として紹介されちゅう道路です。いっつも通りゆうので、別に何とも思わんかったがですけんど、確かにこの二段、妙に不自然ですね。どうしてこんなになっちゅうがでしょうかね。
江戸時代の地図を見てみると、ここはどうやら堀川とつながる水路になっちょったみたいです。
明治時代の地図では、ようわからんですけんど、ここから鏡川へ降りて行く感じになっちゅうようですな。
現在は、この南にはマンションや住宅が並び、その南が鏡川の堤防。大きな堤防なので、こっからは鏡川の流れを見ることはできません。その昔、その堤防はなくて、川から直接荷揚げできるみたいになっちょりました。この、しゅっと西に雑喉場(ざこば)がありましたが、そこへは鏡川から上がれるようになっちょったがですね。
この、二段になっちゅう道路の高い方、この高さがひょっとしたら昔の堤防としたもんやったがでしょうか。確かに、ここから北は、この道路よりはだいぶ低うなっちょります。そうですね、この二段は、川が増水した際に九反田が浸からんようにしちょった堤の名残ながやないでしょうか、と、今、確信しました。