高松、屋島の朝〔1407〕2007/02/21
007年2月21日(水)今朝の屋島もうどん晴れ
いかしあれですね、香川のうどんは美味しいです。こぢゃんと安いし。ひまわり太郎、朝昼晩とうどんでもカマいませんな。
さて、今朝は、高松駅近くのホテルを早朝出発して、ここ屋島まで走りに行っちょりました。最高のお天気で、心地良かったです。屋島は、源平合戦、クライマックスの舞台。平家方は、義経さんの活躍などで源氏に破れ、ここの安徳天皇安在所を捨てて壇ノ浦の最終戦へと雪崩れ込んでいくのでありました。この屋島、見る方角でその姿は随分と違いますが、頂上付近が切り立って、なかなか攻めにくそうな山です。
この神社は、その屋島の麓にある「屋島神社」。生駒氏の後、ここ讃岐の主となった松平氏が、家康公を祀ったのをその縁起とするお宮さんですね。この神社の脇から、屋島へ上るスカイラインが始まっちょります。今朝はそこを走ろうと思うて行ってみましたら、このスカイラインは自動車専用で、ヒトは走れんとのこと。聞いてみましたら、ここから高松の方へ1km程戻った屋島小学校脇に、走って登れる道があるそうで、ひまわり太郎、そこまで引き返し、勾配21%という素敵な坂道をゼエゼエ言いながら駆け上がってきました。
んがしかし、今日は松山へ移動せんといかんがで、汽車の時間が迫って来ちょりましたので、7合目くらいで時間切れとなり、頂上まで行けんづくとに引き返して来ました。ホントは、もうちょっとのクに西行法師の歌碑はあるので、それは見たかったがですけんど。西行さんは義経さんや頼朝さんと同時代人。ちっくと年上。元北面の武士ですきに、清盛さんの下で働きよったこともある訳ですね。ここ讃岐へやって来たのは、源平合戦よりも随分前。祟徳院の陵墓を訪れて悼む歌を詠んだりしちょります。ここ屋島を訪れて
宿りして ここを仮寝の畳石
月は 今宵の 主なりけり
という美しい歌を詠んだ西行法師、その後、ここが悲惨な戦いの舞台になることは予想もしちょらんかったことでしょう。
山を下ったひまわり太郎は、コトデンの「潟元」という駅から電車に乗り、駅前へモンて来ました。なかなかに充実した讃岐の朝でございます。