高松の桟橋、連絡線、高松城〔1406〕2007/02/20
2007年2月20日(火)高松はうどん晴れ
と、言う訳で、午前中の汽車に乗って高松に来ちょります。産学連携の四国フォーラムがここ高松で今日開催され、実はひまわり太郎、高知からの参加者としてパネラーをせんといかんなっちゅうがであります。先程高松駅に到着、駅前のセルフのうどん屋さんでおいしいうどんを食べて、桟橋でこの写真をパチリ、そして高松城跡の玉藻公園へやってきて、公園の美しい梅を愛でながらこのにっこりを書きよります。フォーラム開始まであと一時間ありますきに。
この写真の左に写っちゅうフェリーは小豆島行きのオリーブライン。右端に屋島の端っこが写っちょりますね。ひまわり太郎が小学生の時の修学旅行は小豆島。ひまわり太郎の姉の時代は屋島やったそうです。段々と豊かになりつつある時代で、我々の世代から海を渡ることになったのでありました。
瀬戸大橋が出来るまで、我々四国島民の重要な足であった「宇高連絡船」は、たしかこの界隈が桟橋やったと思います。国鉄の高松駅は今よりだいぶ東、この桟橋近くにあって、汽車を降りたら連絡通路を走って連絡船に乗り込みよりました。以前にも書きましたが、ひまわり太郎は、船に着くとまず階段を上って甲板へ、そしてうどん屋さんに並ぶのがコツ。客席へ行って席を取ったりしよりますと、出遅れてうどんの長い列の後ろの方に並ばんといかんなってしまうがですな。で、うどんを食したら、そのまんま甲板で海風に吹かれながら瀬戸内海の景色を堪能したもんでした。
さて、今、このにっこりを書きゆう玉藻公園、豊臣秀吉さんの時代に讃岐一国を与えられた生駒親正さんが数年かけて築城したのが始まりとのこと。海に浮かぶようなこの名城、その設計をしたのは黒田如水さんとも細川忠興さんとも言われよりますが、いずれにしてもビッグネームですね。内苑御庭という庭はなかなか趣き深く、今、梅が満開。ここでも馥郁たる香りを漂わせよります。