丹吉針と潮江天満宮の歌碑〔136〕2003/08/30
2003年8月30日(土)晴れ時々曇り
高知市の電車通り、菜園場(さえんば)入り口の少し西に、今でも「丹吉」という釣り具屋さんがあります。
「丹吉針」という釣り針の名は古く、元禄の頃(1690年頃)から土佐名産として知られておったそうです。天明元年(1781年)に、高知城下の菜園場で店を開き、本格的営業を開始、店主は代々「広瀬丹吉」を襲名しておりました。
四代目広瀬丹吉は、大津の東山家から養子に来た人物ですが、とても優秀でした。明治維新後、製造した釣り針を東南アジアにも輸出、明治30年から40年代にかけては世界各国の博覧会に出品します。パリやセントルイス、ロシアなどの万国博覧会にも出品、金牌賞を授与されるなど、その技術は世界で認められました。
この四代目さんは、俳句にも優れた才能を開花させます。高知俳壇の中心的人物として活躍した、偉大な文人でもありました。
ひまわり太郎がよくお参りします潮江天満宮には、四代目広瀬丹吉さんの句碑が建立されてます。俳人としての号は、朱明園季青。
「仰ぎ見よ 瀧は氷柱(つらら)の 玉すだれ」と刻まれています。