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水丁場の標柱、長宗我部対策〔1314〕2006/11/20

水丁場の標柱、長宗我部対策

2006年11月20日(月)晴れだしました

昨夜は雨でしたが、今朝は青空が顔を見せ始めた高知市内。夜明け前、こないだまで真南の空に見えよった冬の大三角形が、西南の空に移動してきました。もう冬も近いということですな。

NHKの大河ドラマ「功名が辻」もいよいよ佳境に入ってまいりました。関ヶ原の合戦は先週終わり、昨夜はいよいよ一豊さんが土佐へ入って来るお話でございました。凶暴な野人の住む地「土佐」、長宗我部氏の残党が跋扈する「土佐」への入国は、こぢゃんとオオゴトやったというお話。

長宗我部さんのおったお城は桂浜の上の浦戸城。まずはそこへ入城しますが、この界隈は手狭なので浦戸湾の奥、国沢の湿地帯の大高坂山にお城を築き、その下に城下町を建設すると決めました。治水に自信があったきです。北と南を川(現在の江の口川と鏡川)に挟まれちゅうので「河内山(こうちやま)城」にしよう!と、「高知」の由来を、昨夜の功名が辻で山内一豊さんがお気楽におっしゃりよりましたな。

その気楽さとは裏腹に、長宗我部の残党対策は大変でした。浦戸へ来た際に、かなり強硬手段に出たのも一因ですな。

写真右手の石は、何度かご紹介した「水丁場」の標柱。鏡川、柳原橋と月の瀬橋の間の北岸、築屋敷の土手の上にあります。龍馬の通うた日根野道場の辺りにあります。「従是東六ノ丁場」と刻まれちょります。鏡川の土手を12の区域に分け、川の氾濫に対する防水組織をつくった、そのグループの境界標柱。藩政期初期につくられたこの組織、山内の家臣団を中心に構成されました。それは、万が一、長宗我部の残党が挙兵したら、この組織で対抗しよう、と考えられちょったらしいがです。で、この組織には長宗我部の関係者は入れんかったと。なるほど。

高知城の南、鏡川を渡ったところの筆山の麓に山内家の菩提寺や墓所がつくられました。これも、前にもお話しましたが、北から長宗我部の残党が攻めてきたら鏡川の南へ逃げ込み、筆山で迎え撃つ、という作戦があったようです。で、万策尽きたら南へ山伝いに逃げ、太平洋から船で逃げる、というリスクマネージメントもなされちょったとか。

とにかく長宗我部は恐かったがです。


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