弘化台の東の四角い島〔1291〕2006/10/28
2006年10月28日(土)高知も晴れ!
昨日、高知へモンて来ちょります。大阪、東京、中村、高知という旅程の出張やったがですが、やっぱし東京から中村がコタイましたね。都会の皆さんは簡単に四万十川を見たい、とおっしゃいますが、そんなに簡単ぢゃあございません。
さて、こないだ、中の島から眺めた丸山台をご紹介しました。浦戸湾に浮かぶまん丸の島。で、本日は、弘化台のしゅっと横に浮かぶ四角い島をご紹介しましょう。弘化台は、昔から浦戸湾の五台山と丸山台の間に浮かぶ小島でございましたが、その場所に、弘化台という名前を受け継いだ広い広い埋め立て地ができたのが昭和42年。高知で「弘化台」と言えば中央卸売市場の代名詞になっちょります。
南北に長い四角形をしちょりますが、そのまん中よりちょびっと北の東側、堤防の外側にご覧の様な島がございます。ほとんど知られちょりませんね。石でキチンと築き上げた土台の上に、コンクリートの建物やブランコみたいなのが見えます。ブランコ状のオブジェの向こうでは、二人のおんちゃんが釣りを楽しみよりました。これ、弘化台とは完全に離れちゅう「島」で、たぶん釣りをするおんちゃんが架けたものと思われる「横にした脚立」で弘化台から渡れるようになっちょります。
地図で見てもなんちゃあ名前が書いちゃあしませんし、いったいこったいなんながやろう、と思いよりました。ほんでもってこぢゃんと気になるので、便利なインターネットで調べてみましたところ、これは捕鯨砲の試し撃ちをする砲台跡、てなことが書いちゃありました。なるほど。それは得心がいきますぞ。手前の建物は捕鯨砲用の資材置き場という訳ですね。
それによりますれば、大正時代から猟銃や捕鯨砲の製作を行って活躍、高知が誇る猟銃製造会社「ミロク製作所」の礎を築いた弥勒武吉さんが、その昔ここで捕鯨砲の試し撃ちをしよったということらしいがです。
そう言えば、今、南国に広大な敷地を持つミロク製作所さんは、元々ここから西へしゅっとの稲荷町にあったがです。その前身はもうちっくと西の下知。弥勒武吉さんは義理の弟さん井戸千代亀さんと一緒にミロク製作所を立ち上げましたが、その井戸さんのご子孫の方は、現在稲荷町の南西しゅっとの九反田にお住まいになられ(ミロク関係の会社を経営されよります)、毎朝犬の散歩をされよります。ひまわり太郎はよくお会いするのであります。今度この島のことをお聞きしてみんといかんですね。。