夜明け前の四万十川、赤鉄橋〔1290〕2006/10/27
2006年10月27日(金)中村も朝から晴れちょう
今朝は中村。と言いますか、今は四万十市。
昨日、東京から飛行機で高知空港へ、空港から後免駅まで行きまして、そこから特急南風に乗って2時間15分で中村です。
ひまわり乳業中村工場は、中村市に市制がひかれる前、中村町やった場所にありますので、四万十市になった今も四万十市中村一条通という住所で「中村」という名称が残りました。中村市でも、中心部ではない、旧中村町以外の場所は、結局のところ「中村」という名称が消えることになってしもうちょります。ひまわり乳業中村工場は、そんな訳で「中村工場」の名前のまんま残すことにしました。
さて、ここは今朝の赤鉄橋。このにっこりでも、何度かご紹介しちょりますね。夜明け前の鉄橋を、ライトを点灯した車が通って行きます。この橋は四万十川に架かる赤い鉄橋で、中村を抜ける四万十川のシンボル。「赤鉄橋」は通称で、正式名称は「四万十川橋」でございます。写真右下の古い表示板には「大正十五年六月架設」と刻まれちょります。
この、大正15年当時としては四国一の規模を誇る橋が架けられた背景に、大正4年に起きた水難事故があるのであります。普段は雄大で穏やかな四万十の流れも、一旦大雨になりますと一気に増水して暴れ川となります。大正4年、増水した四万十川の、この赤鉄橋のちょびっと下を、中村高等女学校の女学生などを乗せた渡し舟が渡りよりまして転覆、11名が四万十川に流されて犠牲になったという悲しい事故が発生しました。深く悲しんだ中村の人たちの想いが、この大きな大きな橋の建設に結びついたのだそうです。
尚、大正15年に架けられた橋は昭和21年の南海大地震で壊れてしまい、現在のものは二代目。でも美しさは充分に継承されちょりますね。山の緑と川の青に映える赤鉄橋。その、夜明け前の威容を今朝はお伝えしました。