五台山からの絶景〔127〕2003/08/21
2003年8月21日(木)晴れ
今日は、ひまわり太郎が住む地区のラジオ体操の最終日でした。ひまわり太郎Jr.1号は精勤賞の図書券とお菓子をもらい、大喜びしてました。地域にこういった交わりがあるということは、ホントにいいことですよね。
さて、ひまわり太郎は、昨日の筆山に引き続き、今日は高知市東部の五台山を攻め登りました。身体に負荷をかけるのは、結構クセになるんです。わかります?
写真は、山頂展望台より北東方面を写したところです。大津、介良(けら)辺りですね。その向こうに、長宗我部元親が本拠とした岡豊(おこう)山が見えています。
この辺りは、その昔は一面海でした。中央右手に連なる山々が岬のように海に突き出ておりまして、そこの港から紀貫之が船出したことで知られています。
紀貫之は、10世紀頃活躍した、土佐国司も務めた歌人です。36歌仙の一人に数えられ、その名声は全国に響き渡りました。古今和歌集編纂の中心人物としても知られてますね。西暦930年、土佐国司(県知事のようなもの)に任命されて土佐国府(南国市国分)に赴任してきます。当時、任期中に私腹を肥やす国司が多かったなかで、貫之は善政をしいたと言われています。
京へ帰る道中の55日間の旅日記が、日本の文学史上の一つのマイルストーンになった「土佐日記」です。この作品の軸心は、土佐の人々への思いと、土佐在任中に亡くなった女の子に対する思慕であると言われてます。
「みやこへと おもふを ものの かなしきは かえらぬひとの あればなりけり」