堀詰でカーブしよった電車〔1254〕2006/09/21
2006年9月21日(木)今日も秋晴れ!
台風が去ってからというもの、なかなかエイお天気が続きます。秋雨前線とやらも台風が吹き飛ばしてくれた格好ですな。朝も爽やか!
ここは高知市中心部、堀詰。堺町の歩道橋の上から西向いて撮影してみました。青い電車が走りゆう場所がまさしく堀詰。浦戸湾から流れ込んできた堀川は、はりまや橋の下をくぐって新京橋界隈の池へ。その西がどん詰まりの「堀詰」ということですが、実は詰まっちゃあしませいで、お堀は本町の通りをくぐって南へと続いちょったというお話は、こないだもしましたね。
この電車通りは、戦争で焼けるまではもっと狭かったですが、明治37年からこちら、ずうっと電車の走る幹線道路。明治39年、堀詰と鏡川の南岸の梅ノ辻が電車でつながるがですが、今の様にはりまや橋経由でつながっちゅうのではありませんでした。乗出からやってきた電車は、ここ堀詰で右折、鏡川の堤防の手前まで南下して左折、潮江橋へ右折して梅ノ辻へと向いよったがです。写真の青い電車の辺りで、線路は南にカーブしちょった訳ですな。これがはりまや橋で交叉するようになったのは昭和3年のこと。
先日9月18日に話しました県立歴史民俗資料館に、大正期のこの界隈のジオラマが展示しちゃあります。たしかに電車はここで南に曲がっちょりました。
昭和3年にはりまや橋までつながってからも、戦争までは電車通りも狭く、この堀詰からはりまや橋までS字に蛇行しちょりました。写真左手の手前には大山館という映画館。その近くに森永のミルクホールがあったそうです。ひまわり太郎の伯父さんは、秦村の牧場で搾った乳を缶に入れ、自転車に乗せてここの森永ミルクホールへ配達に来るがが楽しみやったそうです。余りモノのお菓子の切れ端とかを食べさせてくれるきですね。