秋晴れの天神大橋、八軒町、中島町〔1252〕2006/09/19
2006年9月19日(火)こぢゃんと晴れました!
今日も素晴らしい朝を迎えた高知市内。こないだうち、夜はあんまし走らん雑喉場橋南岸の土手の上を珍しゅう走りゆうときに、車止めの鎖に足を引っ掛けて思い切り転んでしもうたひまわり太郎は、打ち身と擦り傷で体中がちょっと痛いがです。で、走ると肋骨に響くので、チョットナイ走れんなっちょります。ふう。
が、今の季節、朝は自転車で行きよっても心地エイですね、こぢゃんと。
ここは今朝の鏡川、天神大橋の上です。南のたもとから北向いて撮影してみました。
赤い欄干がきれいですね。向こう岸に見えゆう川縁は東唐人町、その北は八軒町。今は、町の中心部ではありますが静かな住宅街になっちょります。
藩政期、この西に池がありました。馬の蹄のようにU字型の池。その昔、鏡川がこの界隈で北に蛇行しちょったそうで、その名残の池。その池も今は埋め立てられて、「中島町」という町名にその名残を残すのみです。
何度もお話しましたが、藩政期、防衛の意味合いもあり、鏡川に架けられちょったのは天神橋だけ。山内のお殿様がその菩提寺である真如寺にお参りするのに使われた橋、天神橋。
天神大橋の南、橋のたもとには「天神の大クスノキ」がどか~んっとその威容を誇っちょります。そのクスノキの北が潮江天満宮の参道入り口。参道途中から左手に真如寺がございます。
この橋の北はもちろん郭中で、上級武士の住むエリアやった訳ですが、明治維新後、その姿は一変しました。この橋を北へ行くと大橋通り。そこから本町筋を東へ行けば繁華街として発展した堀詰。はじめは芝居小屋、後には映画館などの娯楽の殿堂が立ち並んで、賑やかな場所になりました。堀詰、そして種崎町が高知の街の一番繁華な場所やったがですが、武家屋敷の並んじょった帯屋町や大橋通りも少しずつ商売の町として発展、戦後は高知の街の中心になっていきました。
が、この橋の北西、八軒町界隈は、郭町やった頃の雰囲気を残す静かな住宅街ですね。