松渕川、不動明王、武家屋敷、芝居小屋〔1247〕2006/09/14
2006年9月14日(木)久々に晴れた朝です
このところ妙なお天気が続きよりましたが、今朝は久し振りに晴れました。さわやかな風が吹く高知市内です。9月に入ってから、高知はずうっと妙なお天気。秋雨前線とやらがおかしげに居座っちゅうきやそうです。久々にエイお天気になって心地良いですな。
さて、昨日は「つちばし」をご紹介しました。堀川を遡り、新京橋のところから北上した界隈。新京橋を西へ行くとお堀の突き当たりの「堀詰」という訳ですが、本当はそこからまだ続いちょりました。本町(現在の電車通り)の下をくぐって南に、お堀はつながります。
まっすぐ南へ、鏡川の土手へ突き当たるまで。そして、途中、現在高知競馬の場外馬券売り場があるところから、西に向って小さなお堀が延びちょります。中島町を取り囲む池まで。その小さな水路のようなお堀を「松渕川」と呼びました。
ここは、ひまわり乳業本社の北東すぐ。この祠の向こうにひまわり本社があります。「不動明王」と掲げられた祠は、昔からここに鎮座されちょります。写真の、祠の南側の道路が、松渕川が流れよったところ。その松渕川から南が「南与力町」でした。ひまわり本社の、道路(旧松渕川)を挟んで北側に公園があります。唯一、その堀川の名称を今に残す「松渕川公園」。ひまわり太郎が子供の頃の遊びの主戦場。オオカタここで遊びよりました。ガキ大将がおりまして、この公園は元々川になっちょって、数十メートルの大蛇が棲みよったこと、そして公園を掘ったら大蛇の骨が出てくるかも知れん、と自慢げに話しよったことを思い出しました。
本当は、川が流れよったのはこの道路の部分。公園のところは上級武士の武家屋敷でした。明治になって、この公園のところに「高知座」という芝居小屋が建てられました。戦争前まであったらしいです、芝居小屋。町内会の、昔からここに住みゆうおんちゃんがお話しておられました。