山内神社脇参道の常夜燈〔1234〕2006/09/01
2006年9月1日(金)曇っちょります
最近神社ネタが続きますが、今朝もここ、山内神社から。
鏡川、柳原の土手の上の森の中に鎮座されちゅう厳かにも立派な神社「山内神社」は、山内一豊さんを始め、土佐藩の歴代藩主をお祀りしちょります。元々、高知城内に建てられた一豊さんとその妻、そして二代藩主忠義さんをお祀りする藤並神社の御旅所が、この場所にございました。で、明治の世になって、土佐藩最後、16代藩主豊範(とよのり)さんが、3代忠豊さんから14代忠惇までを祀る社殿を造営、その後、色んな曲折を経て、歴代のすべての藩主と一豊さんの妻を祀る現在の姿になりました。
ここは、その山内神社の北側、「脇参道」と呼ばれる参道の入り口。両脇に、ご覧の様に常夜燈(じょうやとう)が建っちょります。向って左の常夜燈の脇に、説明板が建てられちょります。それによりますと、この常夜燈は、明治4年8月に寄進されたそうです。16代豊範さんによって、ここに山内神社が造られたばっかりの頃。
明治4年7月14日、廃藩置県が断行され、初代高知藩知事をつとめよった豊範さんは、その任を解かれ、上京を命じられます。上京したのが9月15日。この常夜燈は、その間に寄進されちゅうという訳です。寄進者は中級クラスの藩士。
寄進したヒトの想いが、なんとなく伝わってきますね。この説明板に、このいきさつが書かれちょります。普通はなかなか気付かん日付の妙。なかなか気が利いちょりますな。
ちなみに、版籍奉還や廃藩置県は、豊範さんが、薩長肥の藩主と連名で建策、実施されたものですきに、事情や想いは複雑に絡み合うちゅうですな、まこと。