鏡川の夜明け、昭和51年の水害〔1210〕2006/08/08
2006年8月8日(火)雲一つありません
今日は立秋。暦の上では今日から秋。「暑中見舞い」も今日からは「残暑見舞い」ですきに、気を付けて下さいね。
けんどまあ、暑いですな。本日予想最高気温は36℃。台風の影響もあるがでしょうか。ものすごい暑さになりそうな気配が朝からムンムンの高知市内です。
ここは日の出直後の鏡川。大原町、龍馬スタジアムの前から天神大橋方面を撮影した風景です。高知で一番背の高い建物「トップワン四国」と、高知市文化ブラザ「かるぽーと」の間からお日様が昇りよります。空は青く澄み渡り、爽やかな朝の風が吹き抜ける鏡川。何とも言えん素晴らしさです。
こないだ、8月3日の高知新聞に、昭和51年9月12日の台風17号による水害の話が掲載されちょりました。あの日、鏡川はかつてないほど増水し、写真の南岸は天満宮参道沿いの堤防部分で堤防を越え始めました。テレビのニュースで、堤防を越えないように土嚢を積む消防団員さんの姿を見た光景、はっきりと覚えちょります。この堤防を水が越えると、天神町から百石町一帯に大洪水が襲います。しかも、上流の鏡ダムが満水で放流を開始せざるを得ない、という情報が入ります。万事休す。その頃、ひまわり太郎は与力町ではなくて秦泉寺に住みよりましたが、ハラハラしながらテレビにかじりついちょりました。与力町の、ひまわり太郎が住みよった家も、もちろん床上数十センチの浸水。
当時の坂本市長が、「避難命令、避難勧告の有無にかかわらず、危険を予測したヒトは自分で避難してください。自分の命は自分で守ってください。」という悲壮な非常事態宣言をしたのはこの時です。行政の長として、無責任な発言とも言われましたが、あの極限状態で発せられたあの言葉には重みがあったですね。
消防団員の皆さんの必死に作業で、なんとか鏡川が氾濫せずに済みました。この穏やかな日の出を見つつ、あの大雨の記憶が蘇ってきました。