鏡川、神田川、神依田公、賀茂氏〔1203〕2006/08/01
2006年8月1日(火)晴れちょります
今日から8月。ちっくと雲も出ちょりますが、夏の太陽もギラギラの8月のスタートとなりました。夏は真っ盛り。暑い暑い夏が続いたら幸せですな。
ここは鏡川。柳原橋から上流方面を撮影してみました。手前部分は、その昔沈下橋が架かっちょった場所。右端に月の瀬橋の青い欄干が見えよります。
左は、鏡川に合流してくる神田川(こうだがわ)。南こうせつとかぐや姫が歌うて大ヒットしたのは神田川(かんだがわ)ですが、高知を流れゆう川は神田川(こうだがわ)。
神田川の流れる流域は、神田(こうだ)、鴨部(かもべ)地区。その昔から良田が広がっちょった地域ですね。この地名、神様に捧げられるお米を生産した田んぼ、ということでしょうか。実は、続日本紀(しょくにほんぎ)の神護景雲二年(768年)の十一月十八日条に、「土左国土左郡人、神依田公 名代等41人、姓賀茂を賜る(原文をちょっと分かりやすくしました)」と書かれちょります。神依田公が、この界隈を治めよったことが想像できます。「神田」の地名も、そのあたり(神依田公)から来ちゅうがかも知れません。「鴨部」という地名からも想像できる通り、神依田公の一族が賀茂姓を頂戴し、この一帯が加茂氏一族の勢力圏内やったがでしょう。加茂氏(賀茂氏)と言えば、平安以前の京都の有力氏族。水に関わりの深い一族。鴨川とか下賀茂神社とかの名前が今でも残っちゅうですな。
中央から遠く離れたここ土佐国でも、賀茂氏は一定の勢力を持っちょったがでしょうか。