高知空港の現在〔1164〕2006/06/23
2006年6月23日(金)高知はちっとだけ降りよります
今朝の飛行機で高知へモンて来ました。昨夜は吉祥寺で高校の時の同級生とグッスリ飲りよりましたので、ちっくと二日酔い気味。しかし懐かしかったですね、同級生。東証一部上場企業の副社長さんやら外資系企業の技術担当部長さんやらになっちょったりするのですが、こうやって逢うと高校生に戻ったような気分で昔と変わらん土佐弁で話すのが楽しいですね。
さて、ここは今朝の高知空港。東京からの一便は、必ず遅れます。羽田の離陸が込み合うからで、滑走路手前の順番待ちでかなり待たされるきです。
この辺、もっとうまいやり繰りがなんとかならんがでしょうかねえ、まこと。第二ターミナルもできて空港はどんどんきれいに立派になっていくがですけんど。きれいになったといえばこの高知空港もそうですね。ひまわり太郎が東京で学生をやりゆう時分は、高知空港はまだジェット化されちゃあせんかったので、ほとんどの飛行機がYS-11でした。空港の建物も、とてもビルと言えるものではない平屋建ての粗末なもので、アメリカの田舎町なんかによくあるバスターミナル、てな感じやったですね。今の空港ビルよりもうちょっと東側にありました。ジェット化されて、空港ビルができたときは感動しましたですね。ボーイング767で初めて東京へ行ったときは、こぢゃんとワクワクしました。高知も都会になったもんぢゃ、と、妙に嬉しかったことを覚えちょります。あれから空港ビルもちょっとずつ増築され、ちゃんとした地方空港の体裁を整えてきました。堂々たる高知の表玄関。
で、この空港の北東、普通、歩いては行かん、目立たん場所に吉田茂さんの銅像が立っちょります。車で空港から帰る際に、あっと言う間に前を通り過ぎてしまう、そんな場所。吉田さんのやられたことは、戦後日本の復興を推進し、繁栄の基礎をつくりあげました。当時、県議団が上京して高知のことをお願いしようとしたところ、「私は日本の未来のために仕事をしています」と言われて追い返されたという見事なエピソードがあります。これを「政治家」と言うがでしょう。高知を愛するということと利益誘導とはまったく別。ひまわり太郎は、彼こそ偉大な土佐人やと思うちょります。