立田神社と菅原高視公〔1155〕2006/06/14
2006年6月14日(水)晴れのち曇り
今日は南国へ来ちょります。ひまわり乳業南国工場は、南国市物部というところにありますが、物部の北西が立田(たてだ)という地区。ごめんなはり線の立田駅がありますですね。ここはその昔立田村という村でした。立田村の東南部に鎮座しちょりますのがご覧の「立田神社」。社殿はまだ新しく、「立」という文字を丸で囲んだマークの付いた幕が張られちょりました。
この神社のご祭神などはようわかりませんですが、南国市のホームページによりますと、菅原高視さんの乳母がこの地で亡くなり、道真公と乳母の霊を祭ったといわれる神社やそうです。菅原高視さんについては、こないだ6月6日のにっこりに詳しいですのでご参照を。
この神社から西へ300mほどの所に「立田土居城跡」というのがあります。その城主やった徳弘氏は、菅原道真公が太宰府に流された折に連座してここ立田庄に移住したと言われよりますので、高知市内へ左遷された高視さんの乳母は、この徳弘氏に関係があるがかも知れんですね。関係ないかも知れんですが。とにかく菅原氏ゆかりの土地柄やったことは間違いないみたいです。そう言えば、立田駅のすぐ東には天満宮も鎮座されちゅうですね。徳弘氏は、戦国時代になると山田氏に仕え、山田氏が滅亡すると長宗我部氏に仕えたそうです。
この立田神社から北へ100mくらいにあるのが「立田城跡」。立田土居城とは違うので紛らわしいですな。この城の城主は立田氏。源氏の後衛だそうで、この界隈を支配した土豪。戦国時代には立田甚兵衛さんが長宗我部氏家臣となった記録が残っちょります。