鏡川の祠、高知市土居町の由来〔1142〕2006/06/01
2006年6月1日(木)晴れ!
今朝は高知へモンちょります。いつもの鏡川。
ここは、雑喉場橋と潮江橋の間の南岸。彼方に見えるは潮江橋です。鏡川沿いには、結構たくさんの祠がありますですね。大小様々、いろんな神様がいらっしゃいます。お地蔵さんやお稲荷さんや水天宮さんや秋葉さまなどなど。写真の祠もそのひとつ。祀られちゅう神様はよう判りませんですが、川や水にマツわる神様なんでしょうね。
この界隈は「土居町」といいます。「土居」とは、お屋敷や街を取り囲むように作られた土塁みたいなもののことで、日本全国、武家屋敷があったような場所には必ずありまして、それに由来する「土居」という地名もイタルカシコにあります。
一般的には、土居に囲まれた地区のことを言うみたいですな。
この、高知市土居町は、誰の支配するお屋敷町の土居があった町ながでしょうか。その由来は戦国時代にさかのぼります。
戦国時代中期、土佐の国にも群雄が割拠しました。四国山脈のど真ん中、現在の土佐町役場のある森という地区は、近江からやって来た森氏という勢力の支配下に置かれました。で、森氏は、この、現在の高知市界隈にまで山を越えて勢力を伸ばして来たがですね。すごいもんです。いつもご紹介する筆山(潮江山)にお城を築きまして潮江城としたのであります。その城主、森近江守頼実さんのつくったお屋敷町は土居で囲まれちょりました。その場所が現在の土居町。1588年に作成された長宗我部地検帳にも「土ゐノ前」とか「土ゐヤシキ」とかのホノギ名が出てきます。
ちなみに森近江守頼実さんは、地元の森郷に隣接する本山郷の大勢力本山氏に本拠地森城を攻撃され、討たれたそうです。その本山氏は、長宗我部さんとの戦国土佐決勝戦に破れました。そして、森近江守頼実の息子さん森孝頼さんが、元親さんによって潮江城主に任命され、潮江山に森氏が戻って来たのであります。