筆山の麓、小さな地蔵堂〔1101〕2006/04/21
2006年4月21日(金)晴れ!
昨日は風がエラかったみたいですね。瀬戸大橋の汽車は運行中止になったりしちょりました。車で走った国道から見える太平洋にも白波がたちまくりよりましたです。
さて、ここは筆山の麓。天神大橋から南へまっすぐ行き、筆山の麓に沿う道路になった辺り。歴史ある筆山には、山内家墓所を始めとして、たくさんの重要人物の墓地があったり南北朝争乱の古戦場があったりします。で、周囲にはお寺とかも多かったりしますが、所々に、あまり目立たないかたちで地蔵堂があったりします。普段、気にもとめずに通りよりますと、まず気付きません。
が、のんびりキョロキョロしながら歩きよりましたら、あちこちにヒトの気持ちのこもったお地蔵さんや祠があるのに目がいきます。そんな筆山の麓です。
この地蔵堂には、元々南北朝争乱古戦場にあった地蔵堂が戦争で焼失、ここへあらためて建立されたことなどを、建てられたご本人が書いておられます。そして、そのご本人がこのお地蔵さんのご利益の恩恵に浴されたことなどが、その思いと供に記されちょります。真新しい樒がお供えされちょりますので、いまでもキチンと守られ、尊崇されゆう地蔵堂ということがわかります。
この向こうには、もう少し大きい「法界地蔵尊」と書かれた地蔵堂もあり、紫の幕がお堂に掛けられちょりました。
その向こうへ行きますと、その昔、この界隈がまだ海やったころの岬「塩屋崎」。そのトン先から筆山方面へ登りますと、民権ばあさんとして有名な楠瀬喜多さんの墓所があったりします。2005年1月15日のにっこりをご参照ください。
古い歴史や人々の思いが溢れる筆山周辺でございます。