五台山、絶海和尚座禅の岩〔1046〕2006/02/25
2006年2月25日(土)晴れのち曇り、夜から雨が降りそう
今日もぬくい一日。夕方、久々に五台山方面を走りに行っちょりました。
いつものように家から若松町を抜け、青柳橋を渡って一気に五台山を駆け上がります。頂上で、もう営業時間の終わった牧野植物園を外から眺めますと、昔遠足とかでやって来て遊んだ芝生の広場が見えます。その広場の辺りに、江戸時代、竹林寺の南の坊があったと言われよります。そこの、安政の頃の住職の名は純信さん。そう。ご存知よさこい節の主人公純信さん。ここへ、五台山の麓に住む鋳掛け屋さんの娘お馬さんがアルバイトにやって来まして、そこからドラマが始まったのであります。
さてさて、今日は、そこからいつものように五台山の南側へ車道を走って下りましたが、下りた所の三石地区から、いつもと反対に、左回りで五台山の回りを走ってみることにしました。古い由緒ある住宅街なので、漆喰壁の立派な家がたくさんありますね。今の季節、庭の梅が咲き誇る家が多いです。五台山東端を回って、お馬さんの実家のあった界隈を走り抜け、「大島」「大谷」「絶海(たるみ)」という地区を走ります。五台山は、その昔、浦戸湾にポッカリ浮かぶ島でした。一番大きい島。で、「大島」と呼ばれよったがですな。その名残の地名が残っちょります。
五台山には、14世紀前半、有名な夢窓国師がやって来て吸江庵(ぎゅうこうあん)を開きました。その弟子で、津野荘出身の偉大な禅僧が二人おります。何度もご紹介しましたね。絶海中津(ぜっかいちゅうしん)さんと義堂周信(ぎどうしゅうしん)さん。ニッポンの五山文学の双璧として活躍した全国区で有名なお坊さん。で、五台山麓をグルリとまわってきたここ、土佐神社離宮の前に、このような碑を発見しました。いやいや気付かんかったですね、不覚にも今まで。「絶海和尚座禅の石」と刻まれちょりました。絶海中津さんが、この岩の上で座禅を組んで修行したのでありましょうか。
そう言えば、この界隈は、読み方は違いますが絶海(たるみ)地区。前の池が絶海池(たるみいけ)。由来が想像できますな。
早速ここで絶海中津さんのつもりになって瞑想し、青柳橋を渡って帰ってきました。昔むかしに思いを馳せながら走るのには、ここ五台山麓はなかなかの雰囲気を持っちょります。今日、古い民家の庭で、おんちゃんが日本刀を振りまわしよったがを見ましたが、ちくとびっくりしましたです。さすが五台山。