へんろ石、おまんじゅう、源希義さん〔904〕2005/10/06
2005年10月6日(木)晴れ
今朝方まで雨が落ちて来よりましたが、夜明けとともに晴れ上がってきた高知県地方です。きょうもひまわり太郎は朝から南国。
昨日、源希義さんが討ち取られた場所をご紹介しましたね。何故、彼は介良(けら)から夜須へ向かうのに、こんなに北のルートを採用したのか?というひまわり太郎の素朴な疑問もお話しました。
あの、鳶ケ池中学校前から、まっすぐ北へ500mほど行った所に、ご覧の標柱と祠とまんじゅう屋さんがあります。
まんじゅう屋さんは、高知ではこぢゃんとメジャーな「へんろいしまんじゅう」というお店。写真では、おばちゃんがシャッターを開けろうとしよりますね。
手前の古めかしい標柱がわかりますでしょうか?これが「へんろ石」ですね、たぶん。掘られた文字を読んでみますと、意外に新しゅうて明治30年に建てられたもの。まんなかに縦線が入っちょりまして、南側に「大日寺」、北側に「国分寺」と刻んぢゃありました。八十八カ所のお遍路さん用の道しるべながですね。
で、ここから北へ1km走ると国分寺。その界隈には、平安時代の国府がありました。紀貫之さんも、国司として赴任して来て勤務したのは、この「国府」。
つまりですな、源希義さんが討たれた場所は、その頃の土佐の国の国府があった場所から南に1.5kmしか離れていない地点なのであります。
この道路は、その昔も、介良や田村といった荘園などが開発されちょった場所と国府を結ぶ幹線道路やったことが推察されます。何故彼はこの場所で平家方の武将と衝突したのか。
この謎を解く鍵は、ひょっとするとこんなところにあるがかも知れん、などと想像を膨らまして、朝っぱらからひっとりエツニイッチュウひまわり太郎でした。