東九反田公園、説明板が完成〔898〕2005/09/30
2005年9月30日(金)晴れちょります
今朝の高知も晴れ。今日で9月もおしまい、明日から10月となりますが、高知の昼間はまだまだ暑いです。さすが南国土佐。
ここは、ひまわり太郎の家の近くの「東九反田公園」。夏休みにラジオ体操をしたりする公園ですんで、何度もご紹介しました。
で、改装工事中であることも何度か書きましたが、いよいよその全貌が見えて参りました。写真中央に聳える大きな碑は、昭和16年に建立された「憲政之祖国」の記念碑で、その向こう側が子供たちが遊べる公園ゾーン、こちらが歴史ゾーンになっちょります。
この場所の歴史を刻んだ銘版が4枚、きれいに並べられました。何を書いちゅうろうか、と思うて、今朝は工事中の柵を越えて見に行ってみました。
慶応2年に土佐版の殖産興業の拠点「開成館」がつくられ、明治になって「寅賓館」と改められて西郷、木戸、大久保の各氏と板垣、福岡が会談し、立志社の学校「立志学舎」となった後、軍人養成の「海南学校」となり、昭和16年に板垣退助旧屋敷がここへ移築されて「憲政館」となり・・・
てな歴史がわかりやすく書かれちょりました。やっぱしこういう説明板が必要ですね。
で、この説明板によりますと、この「憲政之祖国」碑をつくったり板垣退助旧屋敷を移築したりするのに活躍した中心人物水野吉太郎さんは、伊藤博文暗殺の朝鮮独立運動家安重根(アンジュグン)さんの国選弁護人をつとめた方でもあるそうです、なるほど。