南国市、城陸の千手観音堂〔839〕2005/08/02
2005年8月2日(火)曇り
今朝も南国です。トウから南国工場。
こないだうち、この南国界隈をたつくりよりまして、この写真のお堂を発見しました。このあたりはこぢゃんと歴史の古い土地柄で、あちらこちらに祠やお堂が建っちょりますが、このお堂はその中でも結構立派な物。「千手観音堂」です。
道路側の壁に、このお堂の縁起と申しますか由来を書いちょりました。何とその由来は源希義さんまでさかのぼります。今、NHKでやりよります義経のお兄さんで、頼朝さんの弟。平治の乱で、ここ土佐まで流されてきた貴人ですな。以前、介良(けら)にある卵塔(お墓と言われちょります)をご紹介しましたね。
その源希義さんが、頼朝挙兵に合わせて兵を起こしましたが、ここから北へ行った「年越山」というところで討たれてしまいます。その際の希義方の武将が当地に住み着き、「野田氏」を名乗って野田城を築き、戦国を迎えました。この界隈が野茅(のがや)の茂る土地やったことから「野田」になったがですね。写真の場所界隈は、野田氏の訓練場で、城陸(じょうろく)と名付けられたそうで、その地区名は今でも残っちょります。
で、天正の頃、その野田氏が、京から千手観音を迎えて来まして、ここに祀ったのがその始まりだそうです。
前置きが長かったですね。
つまり、出来てからは430年くらいでしょうか。
創建以来、長宗我部さんの時代、山内氏の時代を通じて近在に尊崇され、大切にされてきたお堂やそうです。
細い道をたつくると、色んな発見があって素敵です。