岡山、後楽園、水辺のももちゃん〔835〕2005/07/29
2005年7月29日(金)岡山も暑うておえん
今朝は岡山。昨夜、暑い暑い名古屋から移動してきました。今朝は、岡山駅前から岡山城、後楽園といった中心部を、ゆっくりたつくって来ました。
実はひまわり太郎、20年程昔、岡山に一年間住んだことがあります。しかし、実際住むと、有名な史跡や観光地に行く機会はあんましないもんで、後楽園には、東京から友人が来た時に一度行っただけでした。ですから今朝で二度目。
岡山城はなかなかデカイです。池田の殿様のイメージがありますが、ここ岡山の繁栄の礎を築いたのは宇喜田氏。戦国時代、宇喜田直家さんがこの地にあった小城を占拠、拡張して城下町をつくりました。
その息子宇喜多秀家さんが、豊臣秀吉に認められて界隈57万石の大領主になり、1597年、現在の場所に豪壮極まりないお城を築いたのであります。天守閣は戦争で消失してコンクリート製のものになっちょりますが、その土台の石垣が秀眉。今朝、この天守(外見はそっくりに再現しちゅうそうです。黒い姿が美しいので「烏城」の別名を持つのがよくわかります)の東側へぐるりと廻ってみました。そこには、自然の石を上手に組み合わせた野積みの石垣が屹立しちょります。関ヶ原以前の石垣で現存ずる物では最大。素晴らしいですね。感動してしまいました。やっぱし「本物」が感動を与えます。
宇喜多秀家さんは関ヶ原西軍総大将やったので、負けてしまいました。その後入城してきたのが関ヶ原のキーマン小早川秀秋。彼の寝返りで、徳川が勝利したといっても過言でない人物。しかし彼は入城後2年で急死、跡継ぎもなかったので、姫路の池田家から忠継さんを迎え、明治まで続いたんですね。
ところで、この不思議な写真は、後楽園の東の旭川沿いにあるモニュメント。その名も「水辺のももちゃん」。向こうに岡山城の天守が見えます。桃太郎の本場岡山らしく、岡山市制100周年を記念して、平成元年に作られたそうです。かわいいっすね。