ジャズ喫茶という文化〔8259〕2025/11/25
2025年11月25日(火)小雨
今朝は雨やけど、連休、晴れて良かったねー。どこもかしこも賑わいました。昨日は、午前中、中央公園の「ラーメン博」でラーメン食べて、午後にまたラーメン食べて、おなかいっぱい。罪の意識から、早朝、北山走ってきたけど焼け石に水だったのは言うまでもありません。でも、どのラーメンも美味しかったです。ギトギト系よりは、海鮮系のさっぱりしたのが僕ら年代の身体には優しいねー。
昨日、追手前小学校の同窓会のこと、書きました。僕らの学年は、6年間を通じて2クラス。6年間ずうっと同じクラスだったのはOくんとAさんだけ。逆に、C君やTさんは6年間一度も同じクラスにはならんかったけど、同じクラスであったかのように親しいのは、学年全体が濃密なコミュニティだったからでしょう。
一昨日の同窓会には生憎来れんかった、徳島在住のSさん。そのお義兄さんが「アルテック」のマスターだと知ったのは、大学生になってからだったでしょうか。そう。高知を代表するジャス喫茶であり、有名ミュージシャンのライブがしょっちゅう行われてた「アルテック」。北本町のヤングプラザにありました。ここ。
ストリートビューを見ると、2015年のには写ってますね。昨日の日経新聞文化面に、こんな記事が載ってました。ジャズ喫茶復権、海外で脚光。
日本独特の文化だったジャズ喫茶。この記事にあるように、「日本のジャズ文化のすべてはジャズ喫茶で育まれた」「ジャズの本場である米国がジャズをエンターテイメントとして扱うのに対し、日本では教養、一種の文化として捉えた」のであります。
高知では「木馬」が有名で、その後できたのが「アルテック」。高校生の僕は木馬によく行ってて、そこで高知のミュージシャンとも仲良くなったことでした。社会人になってもよく出入りしてて、木馬を根城にしたバンドでサックス吹いたりしてたのは1980年代、バブル真っ盛りの頃のこと。
東京で大学生を始めた頃、高田馬場の「イントロ」というジャズ喫茶によく行ってました。そこに貼られていたモダンジャズ研究会(通称ダンモ)の「ドラマー募集 初心者歓迎」というチラシに騙され、ドラム初心者ながらダンモの門を叩いたことでした。
その「ダンモ」の60周年へお邪魔したときに貰ったのが、この、「イントロ」の40周年記念誌。
さて。この記事にもあるように、基本、ジャズ喫茶というのは音響に凝っていて、上質の音楽を上質な音で聴ける空間だった。日本独特の文化だった、というのは頷けるねー。
「アルテック」のマスター、青山さんは、何故か業界にとても顔が広くて、今では考えられないようなミュージシャンがやって来て、演奏しました。以前にも書いたけど、強烈に覚えているのはアート・ペッパーとビル・エヴァンス。今考えると、とても貴重な体験でした。ビートルズのファンが日本公演を見た、くらい貴重な体験。僕のヤマハのサックスケースには、今も、あの日アートペッパーが書いてくれたサインが。
そして、あの日のビル・エヴァンスの演奏は、なんとCDになっているのでした。
追手前小学校同級生、Sさんのお姉さんが青山さんの奥様、ということもあって、僕に、前の方の席へ座らせてくれたこともありました。記憶では、ピアノを弾くビル・エヴァンスと僕の間の距離は5mなかったと思う。
しばらく「木馬」にも行ってないけど、久しぶりに行ってみよう、などと思っております。
さあ、連休明け。張り切って仕事仕事!
