高知パルプ生コン事件が演劇に〔8247〕2025/11/13
2025年11月13日(木)小雨
今朝は少し雨が降ってました。明日明後日はお天気良さそううで、良かった良かった。明日明後日、全国から、酪農乳業の関係者、猛者たちが高知へやってきます。題して「ブラミルク@高知」。弊社にもお寄り頂きますが、高知が誇る酪農家さんをいくつか訪問し、その、地域ならでは、高知ならではの取り組みを見学される予定。実りあるものになると、いいね。僕も頑張ります。
さて。高知市中心部を流れる江ノ口川。藩政期には「大川」と呼ばれ、今も「大川筋」という地名が残ります。「大川」と呼ばれたのは、藩政期初期、城下町が建設された当時は今よりもずっとずっと広い大きな川だったから。当時は現在の鏡川よりも大川の方が広かった、と言います。なかなか想像しにくいけど。
想像しにくい、と言えば、今の若い皆さんに、僕らが子供の頃に見たあの江ノ口川は想像できんでしょうねー。あの、酷い悪臭漂う真っ黒なドブ川。真っ黒な川面には、ポコ、ポコ、とメタンガスの泡が湧き上がり、地獄のような風景になっていました。当時「西日本一汚い川」と呼ばれてたけど、僕らは、「東日本にもこんなに汚い川が存在するんだろうか?」などと思ってました。それだけ凄まじかった江ノ口川。
原因は、高知市の肝煎で1951年に創業した「西日本パルプ」。その後改名した「高知パルプ」と言う社名が、今も日本の公害問題黎明期を考える際に必ずでてきます。
あまりの酷さに、多くの市民が立ち上がる。幾度も会社側と交渉するも、「被害があったら操業を止める」という約束は完全に無視され、県も市も、操業停止を命じない。今考えるとたいしたことのない経済価値が優先された訳だ。
立ち上がった市民の中心に居たのが、山崎技研創業者の山崎圭次さん。山崎さんは、内燃機関では日本を代表する技術者であり、企業経営者であり、詩人。あまりにも酷い行政や企業の対応に困り果て、そして工場の排水管に生コンを流し込むという実力行使に出て、操業停止に追い込んだのでした。
政治運動家ではなく、市民が集まって自分たちの浦戸湾と鏡川を取り戻す行動。これは、全国からも注目を集めたのでした。
あれから半世紀以上が経過し、江ノ口川は見違えるようにきれいになったけど、江ノ口川や浦戸湾の底には今も当時のヘドロの名残が堆積しています。余りに臭く汚かったので、江ノ口川につながっていた、はりまや橋の下をながれていた堀川は「臭いものに蓋」で埋められてしまい、「水の街」の景観も失ってしまう。
たった20年の一企業の仕業が、計り知れない損失を街に与えてしまった、という悲劇。
僕は、山崎さんのこと、高知新聞のコラムにも書いたことがあります。企業経営者、という立場で、表面的には「犯罪」となってしまう、しかし今の江ノ口川を僕らに残してくれる行動を起こされたことには、本当に敬意を表したいのであります。
前置きが長くなりました。今朝の高新にも掲載されてるように、来週19日(水)と20日(木)、その「高知パルプ生コン事件」を題材にした演劇が、行われます。場所は県民文化ホールグリーンホール。僕も、この演劇の賛同人のひとりなので、チケット、持ってます。ご興味がありましたら、ぜひ!
今では想像できない過去があり、市民の頑張り、活躍で、今の高知があることを、一人でも多くの若者にも知ってもらいたい。
