地形と地名と上高田〔8075〕2025/05/25

2025年5月25日(日)晴れ!
昨日は降ったねー。久々に、結構降りました。それでも夜9時くらいには雨も上がり、今日は晴れの日曜日。善き哉善き哉。
今日は本社棟周辺の草刈りとかをしてて、朝7時半に開店する野市のホームセンターに買い物に来てます。朝早いけど、そこそこのお客さんがお買い物。今日は晴れて良かったねー。
で、野市の古い地図を見ていて「上高田」という地名があるのを発見。ここが、その「上高田」地区。なるほど。「高田」という地名について、AI君は、「高い場所に田んぼがあることからつけられたという由来が一般的です」とおっしゃっておられます。この地形分類図を見るまでもなく、ここは更新世段丘の上。すぐ南西が更新世段丘の端っこで、その下が扇状地。扇状地の田んぼが低い場所にある田んぼで、段丘上の田んぼが「高田」という訳だ。
幾度か書いてきたように、更新世段丘は水捌けが良くて硬い地盤。つまり、稲作するには灌漑用水が必須。なので、段丘上の野市は、かつては「野」だった場所で、藩政期初期に野中兼山先生の手によって灌漑用水が引かれてから田んぼができて、「野」だった場所に「市」が立つくらい栄えるようになった、という歴史。
この「高田」という地名は、まさにその兼山先生の恩恵によるものと言えましょう。ここは上高田で、この、野中兼山先生が原点となる灌漑用水と田んぼは、更新世段丘につくられた「高い場所の田んぼ」なのだ。なのです。明治末期の地図ではこうで、一面の田んぼが見えるけど、段丘上の「高田」と、下の扇状地の田んぼの成り立ちは違うのであります。
ところで「上高田」。僕は大学生時代、東京都中野区上高田に住んでました。武蔵野台地を河川が開作してできる丘陵地帯。今昔マップでその界隈を見ると、こう。
♪垣根の垣根の曲がり角~、の歌で歌われたのも、この辺り。ここを地形分類図で見ると、こうだ。更新世段丘武蔵野面が広がり、妙正寺川が開作した狭い平野部に、かつて田んぼがありました。そこには「沼袋」といった、いかにもな地名がありますねー。上高田にも、昔、田んぼがあったのでしょうか。
地名から地形や歴史を想像するのは、楽しい。そんな長閑な日曜日。