香長条里と律令制度とあんぱん〔8054〕2025/05/04

2025年5月3日(土)晴れ!
ゴールデンウィークも真っ只中。良いお天気で良かったねー。高知も「あんぱん」効果で賑わうことを期待したいねー。
ここは後免町。言わずと知れた御免与町。シンボルロードが開通し、観光案内所では、「あんぱんが食べたくなる牛乳」「あんぱんが食べたくなるカフェオレ」はもとより、「リープル」もご購入いただけます。あんぱんも売ってるので、この「やなせライオン公園」であんぱん食べながら飲みましょうねー。
この界隈を地形分類図で見ると、こう。後免の町は、更新世段丘である長岡台地の先っぽ近くにあること、わかります。野中兼山さんが、山田堰を構築して舟入川などの用水路を引くことで、更新世段丘も農地となり、後免の町も発展しました。この地形分類図は、そんな歴史を感じさせてくれます。
長岡台地の南東部は物部川の扇状地。水田をはじめとする農地には適した土地。なので、律令時代から、条里制が施かれております。この地図を見れば一目瞭然。
その条里制の元となるのが律令制度やけど、その制度が日本で確立したのは大宝律令。小学校の頃「大宝律令なれはじめ」と覚えた701年、大宝元年に制定施行されたのが大宝律令。実は。大宝元年は、ユリウス暦701年5月3日に始まっております。1324年前の、昨日。
日本における元号制度は、断続的に実施されてたけど、この大宝元年からはずうっとずうっと令和まで続いている訳で、現在につながる元号の始まりは、1324年前の昨日である、と言えるみたい。そんな時代に本格的に始まった律令制度やけど、最近の研究では、各地で条里制が確立していったのは8世紀半ば、墾田永年私財法が施行されたあたりと言われてます。
ここ、土佐では、この見事な香長条里ができあがっていきました。今の地図を見ても完璧にわかる、香長条里。
その基本単位は、1町(109m)×1町(109m)の正方形で、その正方形の面積も1町で、坪(今の坪とは違います)と呼ばれたとのこと。
この条里、Googleマップで見ても、見事に1辺109mの正方形で成り立っていること、わかるよね。今から1300年も前の区画が、今もそのまま残っているという風景って、すごいと思う。年号が今も継続して続いているのと同じように、区割り、区画が続いているという奇跡。
この条里の角度が南北の線から東へ10度ちょっと傾いているのは、国分の国衙と篠原の評衙を結ぶように作られた律令制に基づく直線の官道が、その角度だったから、と、僕は想像してます。で、条里制を施く際、その官道に合わせて109mの正方形を作っていった。という想像。いや、妄想。
それにしても、香長条里。やなせ先生が育ったのは、その条里上ではない、長岡台地の先っぽ。そこは今、「あんぱん」で盛り上がっており、これからもっと盛り上げんといけません。