桑田山の雪割桜と青い山脈〔7998〕2025/03/09

2025年3月9日(日)晴れ!
良いお天気。朝、車のフロントガラスがカチバリツイちょったのには驚きました。もう、3月も中旬ですきんね。でも日中は晴れて、暑いくらい。3月も中旬ですきんね。
3月中旬といえば、雪割桜。須崎市、桑田山の雪割桜。そうだ山。僕がよく、折り畳み自転車で走ってきたり、佐川駅からRUNで来たりしている桑田山温泉がある、桑田山。
ここでは、毎年この季節、1000本とも言われる通称「雪割桜」が咲き乱れ、人々の目を楽しませてくれます。コロナ期間中はイベントは自粛してたけど、コロナも明け、今年も賑やかな桑田山。
通称「雪割桜」と書きました。正式名称は「ツバキカンザクラ」。椿寒桜。2017年3月に、その謂れについて書いてますね。今一度紹介しましょう。そもそもの始まりが昭和8年。母の生まれた年だ。桑田山の方々が連れ立って自転車で金毘羅、高松、伊予三島、松山、道後とサイクリングし、三坂峠への近道で美しい桜を発見。所有者に了解頂き、一枝頂戴して桑田山に帰り、さくらんぼの台木に接木したところ、見事開花。
で、ここからが重要なんですが、2月上旬という雪の季節から咲き始めるので、いつしか「雪割桜」と呼ばれるようになったんだそう。誰が言い始めたのか、「雪割桜」。松山の椿神社で見つかったから「ツバキカンザクラ」なのに、いつの間にか「雪割桜」。
「雪割桜」と聞いて思い浮かべるのは「青い山脈」ですよね。「雪割桜」と言えば「青い山脈」だ。この歌詞をご覧ください。この、藤山一郎の歌をお聴きください。一番の歌詞に早速登場する「雪割桜」。
若く明るい 歌声に
雪崩は消える 花も咲く
青い山脈 雪割桜
空の果て 今日も我らの 夢を呼ぶ
この歌が発表されたのは1949年。昭和24年だ。戦後、大ヒットした映画「青い山脈」の主題歌。作曲は僕らの服部良一先生やけど、作詞は西条八十先生。
全体に流れるテーマは、戦争が終わり、古い因習などから解き放たれた若い世代が、どん底の日本を明るく元気に引っ張っていく、といった感じでしょうか。
なので、ここに突然出てくる「雪割桜」は、辛く厳しい冬の時代を乗り越え、新しく花を咲かせよう、という春への希望の象徴なのでした。
「青い山脈」の歌詞の印象が強いので、僕は、「雪割桜」は全国でそう呼ばれる桜があるものだと思い込んでました。ところが。
ネットで「雪割桜」を検索してみても、出てくるのはここ、須崎桑田山の雪割桜。AIも「雪割桜は、高知県須崎市桑田山にある桜」とおっしゃってます。
では、西条八十さんが歌詞に「雪割桜」を入れたのは、昭和24年の時点で桑田山の「雪割桜」を知っていたのか。
桑田山の「雪割桜」が有名になるきっかけは、平成2年に地元の方が、「桑田山山麓に雪割桜を植えて集落を活気づける」という目的で、少しづつ増やし始めてからのこと。それから、長い年月、地道に努力することで、徐々に有名になってきたという「雪割桜」。
と、言うことは、西条八十さんが「青い山脈」で「雪割桜」と書いた頃、桑田山の「雪割桜」は有名でもなんでもない。西条先生の創った言葉だったのか。
桑田山の「ツバキカンザクラ」が、「青い山脈」にでてくる「雪割桜」にぴったりだったので、そう呼ぶようになったのか。
真相は、今日もわかりませんでした。
いつか、「青い山脈」と桑田山の「雪割桜」の関係を調べてみたいねー。良いお天気の桑田山は、大人気の盛況ぶり。まさに、桃源郷。