「月刊高知」の広告〔7993〕2025/03/04

2025年3月4日(火)小雨
今朝も昨日に引き続き、「あんぱん」ネタ。
今年元日の高知新聞に、「高知新聞社での足跡たどる」という見出しの記事があったの、覚えてますでしょうか。終戦後、やなせたかしさんが中国の戦地から帰高、昭和21年に高知新聞社に入社しました。27歳のやなせ先生。で、社会部を経て創刊準備中の雑誌編集部に異動。そこで、奥様となる暢(のぶ)さんと出会うんですね。そして二人が中心となって発刊したのが、総合文化雑誌「月刊高知」。
昭和21年から25年まで、計49号発行された「月刊高知」には、森下雨村、上林暁、田岡典夫、大原富枝ら、錚々たる土佐出身の文筆家が文章を書いており、土井晩翠や獅子文六などという大物も。地方新聞社の雑誌としては、なかなかすごい。
そんな「月刊高知」で、表紙、カット、編集、取材、座談会などなど、全部をこなしたという二人。広告取りもやってます。
そんな「月刊高知」の広告に、なんと、弊社のがあったのであります。高知新聞社のMさんに教えて頂きました。弊社は、大正11年に秦泉寺で創業。「吉澤牧場」とか「吉澤壽園」といった名前が見られます。で、昭和6年、愛宕の踏切の北側に「吉澤牛乳販売部」をつくり、翌昭和12年、武藤牧場や池知牧場と企業合同して「高知牛乳卸商業組合」を設立。
そして昭和21年、戦争で焼失したという「高知ミルクプラント」跡地に、「土佐乳業株式会社」が設立されたのでした。同時期、(社)高知県酪農協会も設立。この広告は、その当時のものですねー。昭和24年には社名が「高知牛乳食品株式会社」になってますので。
どうでしょう。この文字。やなせたかしさんの字みたいにも、見えますよね。だとすればこの牛の絵もやなせ先生なのか。いやー、夢が膨らむ。ちなみに、上に見える岡林釣具店さんの広告。これって、やなせ先生作の可能性高い気がしますよね。
さあ。「あんぱん」で盛り上がる高知県。やなせご夫妻で盛り上がる高知県。ひょっとしたら、やなせ先生が弊社の広告を描いてたのかも知れない、などと盛り上がるひまわり乳業。
昨日紹介した商品の準備のほかにも、いろんなこと、考えてます。せっかくの機会。やなせ先生の思いを受けて、みんなで楽しく幸せに。
みんなみんな、生きているんだ、友達なんだ~