早慶戦とコンプライアンスとフクちゃん〔7890〕2024/11/21
2024年11月21日(木)晴れ!
秋晴れの、朝。11月も後半で、街ではクリスマスソングが流れるようになってきた今日この頃。来春には朝ドラ「あんぱん」も始まるので、高知では、その対応、準備が急がれるところやね。
今回、「らんまん」と違うところの一つに、著作権、権利関係の問題があるようです。アンパンマンを始めとするやなせ先生が創り上げたキャラクターは、その権利関係がとてもキチンと構築されてて、PRとかにはなかなか皆苦労してたりするんですね。やなせ先生がご存命の頃は、やなせ先生の鶴の一声で色んなことができたとも聞くけど、今はなかなか。
高知出身の漫画家として、やなせたかし先生からも大先輩に当たるのが横山隆一先生。代表作は「フクちゃん」で、かるぽーとには横山隆一記念まんが館もあったりして、高知県人にとってはお馴染みの大御所、横山隆一さん。その「フクちゃん」を大々的にマスコットとして使っていたのが、早稲田大学ですね。
どうして「フクちゃん」が早稲田なのか。それは、フクちゃんが冠っている角帽が、早稲田大学の角帽に似てるからなんだそう。で、1950年から2003年まで、ワセダのマスコットとして早慶戦などで活躍した「フクちゃん」。横山隆一先生からは「早稲田の杜だけは著作権なしの治外法権」とのお墨付きを頂いてたといいます。だから、あんなにも大っぴらに利用使用活用できた訳だ。横山隆一先生が亡くなられたのが2001年。フクちゃんが早慶戦のマスコットだったのは2003年まで。権利関係ありそうな気がしますねー、やっぱし。
野球の早慶戦が始まったのは、1903年11月21日。今から121年前の、今日。三田綱島球場で開催された早稲田大学と慶應義塾大学の対抗戦が、早慶戦の始まり。それが東京六大学野球へとつながっていく訳やけど、やはり一番人気があったのは早慶戦で、昭和30年代までは、プロ野球よりもずっとずっと国民的人気があった早慶戦。
僕らが大学生の頃は、今の学生のように真面目ではなく、サークル活動などへの精力の傾け方が半端ではなかった時代。学生運動は落ち着いていたけど、コンプライアンスという言葉もなくて、結構むちゃくちゃやってた、そんな時代。そんな時代の早慶戦の話をしよう。
あの頃、神宮球場前では、早慶戦の開催される2週間くらい前から順番取りの列をつくって泊まり込みをしている人たちがいました。ほとんどが、サークル単位。早稲田大学側で一番先頭を競い合ってたのが、有名な「雄弁会」と、僕も所属していた「なべの会」。もちろん毎晩そこで宴会をする訳やけど、試合前日の神宮球場前は、夥しい学生が球場を取り巻いて大宴会状態になっておりました。当時の学生の飲み方は尋常ではなく、あちこちで一気飲みの嵐。僕が一年生の秋の大会では、嘘か本当か知らんけど、救急車を呼んだ台数が、早稲田が9台で慶応が3台なので早稲田の勝ち、などとオダってました。オオゴトにはならんかったのは幸いやったけど、その次のシーズンから神宮球場前での泊まり込みが禁止になったのは、当局の英断でしょう。まあ、めちゃくちゃな時代でした。
その日の早慶戦は結局雨で中止。植え込みにうつ伏せになったまま土を握りしめた状態で目を覚ました僕。履いてた下駄がなくなっており、探したら、みんなで食べたお鍋の底から出てきたという話もありました。一駅ごとにトイレに駆け込みながらどうぞりこうぞり下宿まで辿り着き、翌日まで動けなかったという青春の思い出。せられません、あんなこと。今は昔。コンプライアンスという言葉が無かった時代の、馬鹿な学生達のことを、思い出しました。
早慶戦が始まったのは、1903年、今から121年前の、今日。
写真は、かるぽーと前。この右手の桜が「フクちゃん桜」。横山隆一さんの鎌倉の自宅では、毎年、漫画集団の人たちを中心に集まってのお花見が開かれてました。かなり有名な、お花見。2003年、その八重桜の若枝が故郷高知へ送られ、接ぎ木されたのが、この「フクちゃん桜」。お酒は楽しく高尚に飲みたいねー。