八幡さまのご利益、霊威〔7873〕2024/11/04
2024年11月4日(月)晴れ!
一昨日のにっこりで訂正があります。大川村出身のW先輩は、中学卒業まで大川村で暮らしておられました。で、「中学の三年間は、ダム工事と白滝閉山で“激動の三年間”、閉山後の白滝大火で友人宅が焼け出されたのもリアルタイムでした。」とのこと。また、お話を聴いてみたいですね。間違ってしまい、申し訳ございません!
もう一つは、昭和56年にお邪魔して食べたのは「鮎」ではなくて「アメゴ」の間違い。こちらも申し訳ございません!
さて。今日は九州。大分県。仕事でやって来ました。仕事は明日朝なので、今日は早めにやって来て、ここ宇佐八幡宮さん。広いねー。人生二度目の宇佐神宮。全国の八幡様の、総本社。前回来たのは11年前で、あの時の九州訪問がきっかけとなって、現在の「みどり菜食健美」製造販売につながった訳で、八幡様のご利益、霊威は素晴らしかったのであります。
11年前は、JRを乗り継いでやって来たけど、今日は車。国道九四フェリー。11年前はまだ、こんな便利なルートがあることさえ知らなかったのでした。
さて、宇佐神宮さん。先日、「八幡神と神仏習合」という本を読みました。なかなか素晴らしい本。で、その本によると、宇佐神宮は八幡様の総元締め、創始であることに加えて、日本の神仏習合を牽引してきた八幡様でもあったのでした。いやー、知らんかった。世の中知らないことだらけ。
そもそもの八幡神は、新羅系渡来集団がもたらした神様。5世紀頃の新羅には、仏教と道教が習合した独特の宗教があり、それが日本へともたらされる。5世紀の始め頃のこと。
で、新羅系渡来集団が北部九州から豊前へとやってきて勢力を伸ばす。その中心となったのは辛嶋氏ね。この「辛」は「韓」だ。秦一族の、辛嶋氏。で、元々宇佐の地には、豪族宇佐氏と、その宗教である神体山信仰の御許山信仰があり、それを飲み込む形で成立していったのが、八幡信仰の元。当時から、その強い呪力は中央にも知られていたと言います。
そして。辛嶋氏の本拠は駅館川の西岸やったけど、東岸の地にやって来たのが大神氏。おおが氏。大和で強い政治力を誇っていた、三輪山の大神氏の系譜やね。その強い力が、それまでの八幡信仰に応神霊を付与することになり、辛嶋氏、大神氏合同の祭祀が実現して、現在の八幡様の姿へと近づいていった、という歴史。
こんな経緯で、八幡神は、日本古来の神々とは一線を画す神となったのでした。元々の新羅の信仰であった仏教道教習合の宗教に、神体山信仰と応神霊が付与されたことで、八幡神が成立。つまりその段階で「神仏習合」が始まった、とも見られるのでした。そう。日本の神仏習合が宇佐八幡から始まった、ということ。そしてどんどんと色んな仏教や神霊を九州しながら発展していった八幡信仰。
その神様が出す託宣は、日本を揺るがすようなものとなり、八幡信仰は驚異的なスピードで全国に広がっていった、とのこと。やはり有名なのは道鏡事件ね。
そして石清水八幡宮が成立して国家鎮護の仏神となり、源氏による尊崇によって武士の神様となり、全国津々浦々、八幡様だらけになっていったのでした。その数4万社とも言われる八幡様。
そもそもは、宇佐の八幡信仰。11年前にお参りした後の霊威って、その成立時から有名だったもの。さすがでした。また、霊威にあやかりにお参りしてきた、宇佐の八幡様。