咥内島は河内島〔7603〕2024/02/08
2024年2月8日(木)晴れ
ひまわり乳業は、物部川の右岸にあります。物部川の扇状地は、比較的地盤が良く、物部川の水利にも恵まれていて、工場立地に適していますね。太平洋戦争後期に、現在の高知空港の場所に海軍航空隊の基地と飛行場ができた際、海軍からの要望で、主変農家が乳牛を飼育して牛乳を海軍さんに納入したという歴史があり、戦後は県下でも酪農家が多い地域となったのでした。そんな理由もあって、昭和40年、ここに牛乳工場が建てられることになったのでした。
工場の西側、田んぼより少し高くなった自然堤防上に、古くからの集落。下咥内の集落。しもこうない。今朝の写真は、その下咥内。右端に見えてるのが弊社の社員寮。下咥内から北へ行くと上咥内。かみこうない。
この「咥内」という変わった地名の由来、角川「高知県地名大辞典」には、こう書かれています。
「古くは物部川の流れに挟まれ島状をなしたことから河内島と呼ばれ、のち転訛して咥内島になったと言う。」
なるほど。河中山城は高智山城になり、高知城になって高知県・高知市になったけど、河内島は音読みで「こうないじま」になり、咥内島になった訳か。
なかなか説得力のある説明。ただ、我らが寺田虎彦先生は、かなりとんがった推理をしておられます。こういう柔軟な発想力、妄想力が、偉大な業績を生んだんでしょうね。なかなか無理のある解釈もあって、楽しいねー。こないだ書いた、高知県独特の地名「奈路」も、寺田先生の手にかかればこんな解釈になってしまう。これはこれで、素晴らしい妄想力だと思いました。専門ではない分野での随筆なので、自由に自由に妄想を広げている寺田先生。
ところで、高知にはもう一箇所、「咥内」があります。朝倉から伊野へ抜ける途中。あの坂は咥内坂で、とさでん交通さんの電車にも「咥内」という停留所があります。その「咥内」は、どうやら「神内」が転訛したもの。ご近所に朝倉神社があり、その神域であったことから「神内」になり、「咥内」になったという話。
「こうない」に「咥内」という漢字を当てるのは、高知ならではなんでしょうか。最近、地理院地図で地名検索するのがマイブーム。この地図で、咥内と検索してみよう。日本列島の中でも、高知しか出てこない。面白いね。
「奈路」は高知にしかないけど、「奈良」は全国にある。「物部」は、意外なことに高知県の物部河流域に集中してて、他にはあまりない。などなど。楽しいねー。
などと遊んでいる場合ではなくて、今日は重要なお仕事もありますきに、張り切って仕事を始めましょう!