道信山の朝やけ〔7503〕2023/10/31
2023年10月31日(火)晴れ!
今日で10月も、おしまい。明日から11月か。こないだまで暑い暑い言うておったのが嘘みたい。どんどんと時は過ぎてゆく。
こないだ、やなせたかしさんが少年時代に住んだ場所にある公園のこと、書きました。その公園内の説明版に書かれている詩、「道信山の夕やけ」も転載してます。やなせ先生、少年時代の想い出。戦死した弟さんへの愛があふれる、美しくもせつない詩。
その詩に描かれている「道信山」とは。界隈、Googleマップで見るとこんな感じになっているので、僕はてっきり、とうの昔に切り崩されて宅地にでもなっておるのかと思っていました。迂闊にも。
今朝、その「道信山」の場所を調べてみよう、と思い立ったのは、なんでもないことが気になって気になって仕方なくなる僕の性癖でしょうかね。知らんけど。
まず、地理院地図の古い航空写真を見てみよう。この、1948年、つまり昭和23年の航空写真を「高解像度表示」で見てみると、ありました。やなせ先生が「一面の菜種畑」の真ん中の「小高い丘」と表現している小山は、これだ。終戦当時、確かに、後免駅と商店街の間には畑しかないけど、その真ん中に小山のようなものがハッキリと見えます。
その航空写真を頼りに、現在の衛星写真と照合してみました。判明。場所は、ここだ。やなせ先生が「おそらく無名戦士の首塚」と書いているので、普通の住宅になっていたら撮影して紹介するのは難しいねー、と思っていたけど、どうやら「駅前町公民館」の敷地になっているようで、安心しました。
場所が特定できたので、今朝、早速行ってみると。なんと。道信山は、今も、あった。ありました。宅地に囲まれているけど、恐らくはやなせ先生少年時代のまま、道信山は残されているのでした。そうか。「首塚」のような伝承がある土地は、やはり、アンタッチャブルで残されていくんですね。
道路との標高差数メートル。キバナコスモスが鬱蒼と生い茂っている斜面を掻き分けて登ると、ここが山頂。東の空に朝日が昇る。今から100年近く昔、やなせ兄弟が遊んだ小山。へこ帯で覆面して竹の棒切れふりかざしていた、小山。
周囲の風景は変わり果てたけど、道信山だけが、やなせ先生少年時代の光芒を今に伝えているのでした。そんな、道信山の朝やけ。