麻布十番に住んだ人足たち〔7492〕2023/10/20
2023年10月20日(金)晴れ!
そんな訳で、東京。昨日午前中の飛行機でやってきて、業界の会合勉強会などに参加してました。コロナや戦争、円安などに翻弄される日本の酪農乳業界ですが、全国の仲間と情報交換し、農水省の方と議論する。日本の片田舎に住んでいると、こういう貴重な機会を逃す訳には参りません。いやー、勉強になりました。
昨夜泊まったのは浜松町界隈。で、今朝も5時に起き出して更新世段丘下末吉面堪能RUN。古川沿いを遡上して麻布十番。麻布台の激しい起伏を自分の足で体感したのであります。
東京をかたちづくっている更新世段丘は一般に武蔵野台地と言われます。その台地も形成時期や成り立ちによって分類されてますが、市街地を構成するのは主に「武蔵野面」と「下末吉面」。本郷台とか淀橋台は武蔵野面で、麻布台などは下末吉面。武蔵野面より古くて硬い下末吉面は、河川による開削が、より激しい起伏の地形をつくりあげているのが特徴ね。麻布とかのあの激しい起伏は下末吉面。
で。ここは麻布は麻布でも麻布十番の交差点。
麻布という地名の由来には諸説あるけど、一番有力なのは、その界隈で昔麻を多く植えていて、それで布を織っていたから、という説。麻という植物は、粘土質で排水不良の土地では育たない。どちらかと言えば乾燥した水捌けの良い土地で育つので、下末吉面が麻布台というのは、整合性取れてますな。
で、麻布十番という地名は、元禄の頃、5代将軍綱吉が白金御殿を建築するに際して、土運び人足を組織させ、それが一から十までのグループに編成されていて、十番目のグループがこの界隈に住んだことからついたもの、という説が有力ね。今は一番から九番までは無くて、十番だけ残った、ということみたい。
それでは地形を見てみよう。麻布十番は、ここ。この十字の場所。渋谷から流れてきた古川沿いの、谷になっている場所。人足が住んだのは、そんな川沿い低地だったのだ。標高は約5m。
すぐ近く、駐日米国公使公邸やブリヂストン美術館があるこの界隈の標高は約30m。いかに起伏が激しいかがわかるよね。ちなみにここはロシア大使館でやはり標高30m。
ここにキャンティがあって、飯倉片町のこの不思議なエアポケットのような閑静な窪地には、以前もご紹介した、昭和10年に建てられた洒落てモダンなアパートメントが、今も残ってます。
起伏の激しい丘の上には、藩政期には大名屋敷や御殿、庭園がつくられ、今は大使館や学校や、ナントカヒルズ。そして丘の下の谷筋には人足や庶民が暮らし、繁華な賑わいを醸し出し、それが今は麻布十番の繁華な賑わい。
街は、地形と歴史の文脈の中に、ある。