高見山と三原兎弥太〔7375〕2023/06/25
2023年6月25日(日)薄曇り
薄曇りやけど、暑いねー。今朝、久々に南嶺を走ってきましたが、汗が滝のよう。苦し心地よかったです。
ここは、高見山の南。向こうに見えているのは高見山。この南が北中山で、その南が土佐塾中高のある南中山。
この季節。ご覧のように鬱蒼と草木が生い茂っておりました。この右端のオブジェは、土佐勤王党に参加し、戊辰戦争の会津若松城攻城戦で戦死した三原兎弥太さんの功績を記した説明版、だったもの。このすぐ横に、谷干城さんによって墓碑銘が撰文された立派なお墓が、あります。今はもう、草木の中。
この説明板は、2017年3月19日の高見山の火事によって焼けてしまい、こんなになってしまいました。焼ける前は、これ。戊辰戦争における、土佐藩を主力とした部隊は、板垣退助率いる迅衝隊。隊士総数600名。高知県人名辞典によると、三原兎弥太さん、小軍監とあるのでかなり、偉い。以前にも書いたけど、戊辰戦争で生き残ったら、明治政府でも重責を担ったんではないか、と思われる人物ですね。
その墓所はいつしか草木に埋もれ、説明版は、2017年3月からこのまんま。
2017年の高見山の火事は、今までの高見山の山火事の中では例外的に規模が大きかったもの。かつては、こんなところまで焼けることはなかった、高見山の火事。幾度か書いてきたように、高見山は、定期的に焼けることで、高木の生えない独特の植生ができあがっています。かつての「里山」の面影を今に伝える高見山。
かつて弊社に生乳を納入してくれてた潮江の酪農家、野崎さんのお話によると、高見山は、地元の青年団だか消防団だかによって、毎年野焼きが行われていたんだそうですね。それは、防災の観点からも、とても大事だった行事。いつしかそういう行事はなくなったものの、どういう訳か数年に一度は焼けてきた、高見山。高見山の火事で人的被害があった話は、聞いたこと、ないです。
2017年の火事で今までになかったくらい焼けたのは、8年間山火事がなかったから、だと思う。2009年1月に焼けてから火事にならなかった高見山は、生い茂った草木によって、かつてなかったほど焼けたんだと想像できます。
その2017年の火事から6年経過しました。そろそろ焼けんとまずいのではないか、と、個人的には思っています。そう。人為的に、安全面を考慮しつつ野焼きをする必要があるんではないか、と。今、高見山の山裾にはマンションなどが立ち並び、飛んでくる灰などの問題があって、野焼きはなかなか簡単ではないみたい。でも、防災を長い観点で見た時には、今、やっておかんといかん、大変なことになってからでは遅い、などと思う訳です。
牧野植物園や高知大学でも、貴重な貴重な植生の観点から、野焼きを推しているようです。この鬱蒼とした風景を見るにつけ、危機感を覚えてしまう。
高知市の為政者には、こういったことも真剣に考える人物になって欲しいものですねー。